罪悪感

無駄!無駄!無駄!一通りやらなきゃ気がつけない。

罪悪感

50代。
私を含め同じ世代には浪費家だったタイプが多い。本人の性格もあるだろうが時代の雰囲気もあったように思う。


18歳で高校を卒業し関東の百貨店に就職した。上京した時「今日はなんの祭りだ?」と思ったような田舎者にとって都会は毎日が祭りで、刺激的だった。

仕事が終わり寮へ帰る道すがら毎日のように店を覗いた。洋服、本、雑貨、CD。
自分を素敵に見せてくれるもの、気分をあげてくれるものを手当り次第探した。

毎月クレジットカードの請求がきたが働いている限り支払うことは出来、周りもみんなそんな感じでたいした事だとは思っていなかった。無知とは恐ろしいものだ。

寮を出るときは後輩に洋服を売ったり、雑貨などあげた。私は昔から貰い物が多い。ありがたいことに仕事で関わった方々に素敵な物をたくさん頂いた。
職人さんや、アンティークの古い家具や雑貨、価値のある器を作る作家さんの高価な器や陶器。絵。
今思うと物凄いものばかりもらっていた。
貴重な品物の数々は後に人手に渡る実家に送ってしまっておいてもらった。

ひとり暮らしのワンルームや訳あってその後引っ越した親切な老夫婦が貸してくれた部屋、今思うとその後家なき子になるのが分かっていたようにいつでも引越しのできるようなバックパッカーのような暮らしをしていた。

あの頃は物ではなく人との交流や経験にお金を使っていた。
青春18切符で一人旅をした。幼い頃の母との家出の影響からか列車での移動が好きな乗り鉄気質がある。
ライブや美術館にも出かけた。見るもの全てが心の栄養となり充実した日々を送った。

父からの1本の電話によって暗黒の時代を迎えるまではそんな感じだった。

田舎に帰ってからは様々なバイトをした後アパレルの仕事についた。
自分が身につけることで洋服が売れる。だから買う。
そんな言い訳のもと洋服をたくさん買って着た。
確かに必要な部分はあったが、あの頃はそれよりも自分を素敵に見せたかったのだろう。

結婚をした。
夫のお金を管理するという緊張感や責任もあっという間に慣れて、少しずつくだらない物に消費し始める。
独身時代とは違った形の浪費だ。

狭いアパートを少しでもよく見せたくてインテリアに凝ったりした。モノトーンだったり、ナチュラル系だったり北欧テイストだったり。
私の気分次第で家の雰囲気が次々変化した。そのたびにタオルや靴下が透明ケースやらカゴやら置き場所が変わる。パンツの入ってたかごが急にお菓子入れに変わったりした。私だけの自己満足だ。無駄な買い物やどうということはない100円ショップやら安物のインテリアにお金を使った。

無駄は自分だけでない。子供が自分からやりたいと言ったわけではない習い事。良かれと思う親心。子供も迷惑だったはずだ。

だいたいが人からの影響だったり、競争心が見え隠れする。
女性はだいたいそうだろう。

いち早く今のトレンドの服を着てママ友に会いたいし、センスのいい部屋だとか上手に子育てしていると思われたいのだ。


40代から物を捨てた。
物を捨てる。
思えばこれも世の中の捨てブームに乗っかっているのだろう。自分が買おうと思って買った物を自分が捨てている。お金を捨てているのと同じこと。自己嫌悪を感じながら捨てた。
夫に申し訳ない気持ちだった。

わざわざお金を払いくだらない見栄を買っていたのだ。

今、20代のバックパッカーのように暮らした日々が懐かしいと思う。

物より経験や思い出がいかに貴重な財産か、この歳になって身にしみて分かる。

今年の秋に久しぶりに母と近くだが紅葉を見に行った。
この思い出でしばらくはご飯が食べれるくらい嬉しそうだった。多分毎年紅葉の季節になれば言うだろう。
「あの時のもみじやいちょうが綺麗だったね」

車でほんの20分くらいの紅葉の名所。お金を使わずとも充分心は満たされるのだ。


これから子供達にはたくさんの経験をして欲しい。
もちろん無駄な物をたくさん買うだろう。
あのお金を全部貯めていたらと後から後悔するくらい色々な失敗もすればいい。


母の狭いアパートに、私が昔寮を出るとき送った職人さんや作家さんにもらった物が飾ってある。

夜逃げの際にどのように運んだのか記憶にない。娘がたくさんの人からもらった愛情こもった贈り物という思い出を必死で取っておいてくれたのだろう。

無知だった若い頃。戻れない日々。でも思い出の品を見ると不思議と笑顔になる。

そしてその品物達を大切に持っていてくれた母に感謝している。



ココ

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