子育ては悩む事が多い。
特に自分が個性的な親に育てられた影響で、子育ての正解が分からなかった。必死になりすぎて身勝手な絶対君主のような母親になってしまうこともあったように思う。
自分の体裁ばかり。
自分のようなみじめさ、生きずらさを感じさせたくないと子供の心を案じながら、実際は何度も子供の心を挫いた。
子供の出来不出来が、母親の能力を表す結果のように感じ叱咤激励した。
子供というのは素直なもので親の勧めに従おうと頑張るのだ。
その過程で苦しんだ事もあったに違いない。
そんな未熟な私という母親を、後から考えるといい意味で大きく変える出来事があった。
決していい事ではないがきっと意味のあった事なのだろうと今は思う。
底が見えないほどの絶望感。
末っ子の病気だ。
産まれて1ヶ月。
医師に心臓に雑音があるから大きい病院で見てもらうように言われた。
告げられた瞬間、自分が立っている地面が斜めになったような感じだった。
申し訳ない気持ち。
生まれつき心臓に穴があいていた。
心室中隔欠損症。
それが子供の病名だった。
やはり私は呪われたなにかを持っているのだろうか。母親である私の、生きてきた過程の罪をこの子は背負ってきたのではないだろうか。
そんな気持ちになった。
実の父が浮かんだ。
あなたのせいで孫である私の子供まで苦しめられている。
無関係なのにやり場のない気持ちを向けた。
神様にも怒りを込めて抗議した。
なぜ私が求めているささやかな普通を邪魔するんですか?今回だけは許さない。
理不尽な事を考え心が乱れた。
完全に壊れていたのだろう。
でも表向きは気丈に振舞った。
夫と私の真ん中で眠る小さな子供の呼吸はとても早かった。健常な子供の2倍の速さの呼吸をし 肌は常に汗ばんでいた。
子供を見つめていると次から次へと涙が溢れたが、布団にもぐり反対側をむいて声を押し殺して泣いた。
おそらく夫も泣く時は反対側を向いていたに違いない。
恐ろしくて2人で共に泣くことができなかった。
これから病気を乗り越えて行く為に、親として強くならなければ。夫も私もお互いに、話す時は前向きな態度をとりながらそれぞれで恐怖と戦う日々だった。
戦って気が付いた事。
生後3ヶ月の時、東京の病院で手術をした。
手術からさらに3ヶ月入院の日々。
たくさんの人にお世話になった。
退院の日。
日本でも有名な小児心臓のチームのドクターに言われた事がある。
お母さん。
私達にできることは全部しました。
子供は強くて生きる力に溢れている。
病気をしたからといって 、弱い子供だと
甘やかす必要もないし、厳しくする必要もない。人間の体を作るのはお母さんの食事。
お母さんは淡々と栄養のある食事を毎日作り、
子供が病気を言い訳にしたり、そこに逃げないようにただ励ませばいい。
非常にシンプルでありながら、自分が忘れていた子育てがそこにあった。
あの言葉がいい意味で頭にこびり付いた。
励ます。
なんていい言葉だろう。
私の子育てはエゴが多かった。
自分の理想。
子供の為と言いながら子供達を心から励ましていただろうか?
命さえ助かれば後はなにもいりません。
どうか助けて下さい。
その経験から私は大切な事を学んだ。
今ならわかる子供の強さ。
末っ子の病気がわかってから手術をし帰宅するまでの約半年間。
私の母親は自分の仕事をスパッと辞めて上の子供の面倒を見る為に来てくれた。
夫の母もひたすら私達を励ました。
今はなにも考えず一緒に戦いなさい。なんてことはない大丈夫に決まっているから。
そう言って私を励ましてくれた。
母親とは子供の為になるとなんと強いものかと思った。
そして、幼いながらも母親と離れ一言も寂しいと言えずに我慢していた うえの子供達をそばで励ましてくれた。
愛情のこもった食事と励まし。
それさえあれば子供は強く生きていく。
今信じられないくらい丈夫になって元気に過ごす子供を見て、つくづくそうだと思う。
ココ