あんなに一面が雪景色で永遠に続くかと思った冬がようやく終わりが見えてきた。
春とはいえこの町の桜のつぼみはまだ固く、吹く風は冷たい。
朝から小雨がぱらつき肌寒い日に次女が中学を卒業した。
思えば1年生の終わりからコロナが始まり、
ほとんどの行事を諦めた学校生活だった。
普通に学校に通えることがいかに価値のあることなのか親も子も共に痛感した。
そして二年以上に渡るコロナを通して、人間は追いつめられると誹謗中傷や争いが増えることも知った。
本来なら中二病真っただ中。
勝手気ままにわがままを言うであろう時期の中学生が、先生に反抗する場もないほどすべてが簡素で、あきらることや我慢が多い学校生活だっただろう。
感謝することを学ぶ。
今年の卒業式。
各家庭許される参加者は1名のみ。
在校生は教室でモニターを見ながらの参加だった。
最近では慣れた検温や健康状態に関する用紙を提出したのち卒業式が始まった。
国歌は飛沫による感染症を防ぐためピアノ伴奏だけが流れた。
これはそれぞれが心の中で歌うという事だろう。
君が代の伴奏が流れそれを聞きながらふと感じたことがある。
子供達が大人に見守られ祝福を受け、いつも通りではないながらも晴れやかな卒業という舞台に無事たてているこの瞬間。
遠い地ウクライナでは祖国を追われ家族が離れ離れになり、学ぶどころか今日を生き延びる事さえも簡単ではない子供達がいる現実。
口ずさむことは出来ずとも祖国を想いながら国歌を思い出すこともあるかもしれない。
コロナで我慢ばかりで可哀想だとずっと思っていたこの子供たち。
でも皆に愛され十分幸福なんだという事実に気づき、平和な国にいることに感謝の気持ちがこみ上げた。
伴奏だけの国歌を聞きながら涙をこぼしそうになるのをぐっと堪えた。
今泣いてしまえば卒業式が始まったばかりなのに泣いている随分な感動屋さんだと思われてしまうだろう。
卒業式が始まった。
3年間でたくましくなった子供達。
コロナが何年続くのかというストレスの中でも、与えられた条件に適応し暮らしている。
その目にはこのままでたまるかと諦めない強さを感じた。
卒業生の答辞を言った男の子が魯迅の言葉を述べた。
本当に立派な決意の言葉だった。
決心する限り、奮闘する限り、必ず成功する。
この子供達には羨ましいほどの若さがあり、時間という希望があり
暗い時代を耐えた強さがある。
子供時代に思い通りにならない時間を過ごした経験は決して無駄ではないはずだ。
諦めずに強く生きていくであろう子供たちの強さと希望を感じる門出。
暗闇の中から登り始めた朝日のようなスタートの瞬間だった。
願わくば。
毎年。
春のにおいが感じられる今頃は心躍る季節。
でも今の時代に起きた一方的な侵攻という恐ろしい現実にため息ばかりが出ていた。
ハレの日を迎えることと世界のどこかで何万人もの人が涙していることの差に心苦しさを感じていた。
親として心から晴れやかではない自分の気持ちに戸惑う日々を過ごしていた。
しかし卒業式の子供たちの姿を見て力を貰うことができた。
この子供達の未来は健康で平和に生きれる時代であって欲しい。
ココ