ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

今を生きるということ。

 

 

 

 

 

砂時計の砂があとわずかになった時、慌ててひっくり返し、のこり時間を引き延ばす。


それでも容赦なく、砂は下に落ちていく。

 

わずかになった砂は、仲間の砂のところに行こうと、速度を増しているように見える。

 

 

 

 

 

ひっくりかえして3分追加。

 

 

 

 

30年以上昔、百貨店の従業員用の寮で生活していた。

景気がいい時代、福利厚生がしっかりしていて、寮の費用も信じられないくらい安かった。

ただ、100人近くもそこに暮らしているのに、電話だけはたったの一台しかなかった。

 

 



かかってきた電話は寮の管理人さんが取り次いで館内の放送で呼ばれる。


部屋から下まで走り降りて、受付の電話に出た瞬間から、管理人のおばさんが砂時計をスタートさせる。
砂がなくなるまでの時間が3分。


それが許される時間だった。


当時、おばさんの目を盗んで砂時計をひっくり返し、話す時間を延ばすなんてせこい事をしていた。

 

 

 

住み込みだったおばさん。
お気に入りの子だけは、砂時計なんて関係なく長く話せる。
そんな、えこひいきもあったようだった。


今みたいに、なんでも平等じゃなかったのが懐かしい。

 

3分、6分、

当時は、少しの時間に必死になっていた。


今この瞬間がなにより大事だった。

 




残り時間はどれくらい?

 

 

 

昨年から自分のまわりでは、少し早すぎる年齢の訃報が多い。



連絡が来るたびに、しばし呆然とするような感覚が続いている。



それだけ、自分も年を重ねたのだという、単純な理由だけでは、
とうてい済まされないような突然のお別れ。




二月のはじめに、またそんなメールを受け取った。



 

62歳の方だった。



 

今を生きなければ。

 

亡くなったという知らせを聞く、ほんの一週間ほど前。


「はじめまして。どうぞよろしくお願いします。」


少し緊張しながら、初対面のその方と挨拶をした。




最後に練習場の長テーブルを片付けることになり、はじっこを持ったら

「いいです、いいです。一人で持てるから」

「重くないですか?」

「大丈夫。俺、力持ちだから」

「じゃ、おねがいします」

 



どうってことない和やかな会話をしながら、作業をした。


これから何度もここで、共に活動していくことを想像していた。



 

「お疲れ様でした。また今度。」




はじめて行った場所の居心地の良さ。

それは、そこにいる人々のまなざしから、そっとにじみ出る優しさによって作られるように思う。

だとすればその方は、新入りの私の気負いをなくしてくれるような、とても穏やかなまなざしだった。



「お疲れさまでした」

 


「また、今度」


 

そのまた今度が、来ない事もある。

それを普段は想像することもできない。



 

 

まさかこんなにも急に、終わりが来るなんて思ってもいなかった。





 

 

 

 

今を生きなければ。

50代。


きっと誰でもそうなのだと思う。

 

 

 

日々、忙しく暮らしながら時々虚しさを感じる事があった。

 

 


この先、楽しいことがあるだろうか?

充実した、満足感のある生活はまだまだ先の事だろうか?
未来の心配事ばかりを考える。

 

 

自分より与えられた持ち物が多い他人だったり、
生まれつきの強運を持った人を見て、

 

神様は、なんて不公平なんだと不満に感じたり

今ではなく、少し先にはきっと充実した時間が来るだろうと
現実よりも、先の事ばかりを想像した。




今を生きる

 

 

正直、今の今まで、この言葉の意味は、全く分かっていなかったように思う。

 

 

 

「また今度」

 

やりたかった事を実現しないまま亡くなって、悔しい思いをした仲間。


 

人は、いつかはかならず、それぞれが別々になってしまう。



同じ時間を共有することの奇跡。



 




人生の砂時計。

 

残念ながら、自分の残りの砂は見えないし、ズルをして時間を延ばすことは出来ない。



与えられた時間に感謝しながら
今、この瞬間、
この時に集中しなければと心から思う。

 







            ココ