ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

おばあさんの口から宝石のことば。

きょうもわるくち。


血沸き肉躍る他者批判。

毎日上手に嫌なことを周りに言う人。

きっと朝トイレに入るのと同じくらいの自然なルーティーンなんだろう。



昔はかわいいやつだったのに。


私もおばさんになるごとに言葉に皮肉を混ぜるのがどんどんうまくなってきた。
腹に蓄積していく脂肪と比例して、理屈が増えていく。
テレビを見ながら見るものすべてにツッコミを入れる。
そんなご意見おばさんにはできればなりたくなかった。

若い頃は言われた嫌味の意味を
何日か経って夜中の布団の中でやっと気がつくタイプだった。
布団からおもむろに、がばっと跳ね起きて
「なんだと!あれはそういう意味だったのか!」
だいぶ前の事にようやく気がつく。

いつも反応が遅かった。

それが今では
相手の嫌味に秒で気がつく。
ことばの裏の裏までも。


機嫌がいいというのは神。

人のいいところを褒める褒め上手になりたい。
この頃はそういう人になりたいと強く思うようになった。


訪問介護の利用者さんで
とんでもない褒め殺しのおばあちゃんがいた。



ピンポンを押す。
ドアを開ける。


あらまーよく来てくれました。
毎回行っただけで大歓迎してくれる。

自分の母などはピンポンして丸いのぞき穴を見つめながら
いつもなんだかドギマギする。
今日の機嫌とテンションがどんな感じか分からないからだ。

考えてみるといつでも笑顔で迎えるというのは凄いことだ。
そのおばあちゃんは毎回必ず満面の笑みだった。


窓を開けただけで
風が入ってさっぱりする。
掃除機をかけると
すごく丁寧。
台所を片付けてシンクを拭くと
あらあらよく気がついて
お風呂を洗うと
拭き上げまでしてくれるなんて感激
灯油の缶を二個も一気に運べるの?凄い力持ち。
あなたが動いてるのを見るとコマが回ってるみたいで元気が出るわ。


毎回毎回一時間何かやるたびにその調子だ。

褒めすぎなので少し照れる。
ちょっとやりすぎなくらいの賛辞。
でもやはり嬉しかった。

団地で一人暮らし。
一人が好きと言っていた。

肩が痛くて高いところのものが取れず
目もだいぶ悪くなっていた。
仕方ないわよ年なんだからと笑っている。
自分の機嫌を自分でとれる人はかっこいい。

小さい頃見た童話。
水を汲みに行かされた優しい娘は、神様が魔法をかけて
何か言葉をいうたびに口から真珠が出てきた。
私はその本の挿絵が好きだった。

あのおばあちゃんからは真珠がでそうな心地よい言葉が出ていた。
よその人に対してだからといえばそれまでだが、
なかなかできるものではない。
元気でいるだろうか。



凶器にもなる言葉。



誉め言葉。

こんなにも相手のメンタルにいいものはない。
褒められると誰だって嬉しい。
眉間のしわも減りそうだし人相も良くなりそうだ。

お金だってかからない。

でも残念ながら相手を徹底的にけなすことを生きがいにしている人種がいる。

イライラをいつまでもしつこく練り上げ絡みつく言葉。
そんな人は土下座してひれ伏すまで相手を責めるつもりなのだろうか。



私の知人は大昔。
まだSNSなどない時代。
ネットの掲示板で見当違いな誹謗中傷で心を病んだ。
誰の事か少しだけ分かるような巧妙な言葉で一年以上批判を受けた。

感情だけで発信する言葉。
その威力と怖さ。
それを見せつけられた出来事だった。



思えば自分も今まで嫌なことを人に対して言ったことがないかと言えば
数えきれないほど言ってきた。

自分にとって理不尽で腹が立つことがあって
カスタマーサービスに電話して論破した。
「最終的に謝らせた。」
そんなつまらない事を食卓で自慢げに語ったこともある。


夫にだってそうだ。
「ほらみたことか。」
そんなことばかり言っていた。

家族でめんどくさいのはいつもお母さんである私だったかもしれない。





昔読んだ童話。
あの話のつづきにはいじわるなお姉さんが出てきて
嫌な事ばかり言うお姉さんは、魔法をかけられ
何か言葉をいうたびに口からヘビや毒蜘蛛が出てきた。


優しさは演じてもいい。




人は生まれてから何人と出会って会話をするのだろう。
今はインターネットでも人との出会いがある。
顔を見たことがない相手であっても、
様々な人と知り合える。

偶然話すことになった相手とは楽しくて優しかった
あの素敵なおばあさんのように言葉を交わしたい。

まだまだぜんぜん修行が足りない。
それでも・・・



いつかはなりたい。
優しい言葉の数々。
真珠が飛び出すようなおばあさん。

                      ココ