毎日ご機嫌で過ごしたいが実際のところそれが一番難しい。
小さい事に幸せを感じて淡々と生きればいいのだろう。
身の丈に合った丁寧な暮らしで口角を上げて姿勢よく
うすく微笑みながら。
例えばさつまいもが美味しかったことが幸せでしたとブログに書いた数分後に
気に食わない事を見つけてこのくそ!なんて言っているのが現実だ。
それでも極力
人の悪口だけは言いたくない。
嫌いなものあつめ
私の母は嫌いなものや嫌いな人が驚くほど多い。
買い物に連れていく車の中、なにげない会話。
日々の営みすべての場面において嫌いな話をするので娘としては
非常に聞くのがしんどい。
私は○○がだいっきらい。
あのひと大っ嫌い。
良くこの言葉を口にする。
人が好きだと言っているものであっても、秒で否定する。
癖なのだろう。
前回の会話ではやたらとほめていた相手を、今日は平気で貶すなんてことを軽々とやってのける。
部外者の母には全然関係ない事で嫌う。
親戚の叔母や近所の人。
郵便局や市役所、スーパーでの対応。
ミヤネや恵や女優や俳優。
おそらく私のことだって言ってる。
はたから見ると何をされたわけではない相手であってもそうだから余計にたちが悪い。
そして娘には何を言ってもいいと思っている。
暇なのだろう。
高齢になった母。
母の人生を考えると、おそらく予定外なことが多かったはずだ。
今住んでいる団地。
きつきつの暮らし。
今さらながら離婚したことだってそうだ。
母は毎回必ず父の悪口や過去の苦労を話す。
良く飽きもせずその名前を言い続けるものだと思うほど父の名前が登場する。
そして最後に楽しかったエピソードも出てくる。
おそらくここ数年は会って会話をしたときに、父が会話に登場しなかったことはないのではないかと思うくらい必ず話している。
本当に最低でシネバヨカッタ。
あいつさえまともだったら今頃もっと幸せだったのに。
あの家に暮らせたのに。
ニクタラシイ。
きっと一緒に楽しく生きたかったのだろう。
考え方をかえた。
私はこの母の言動に何年も苦しんだ。
うしろばかり見ている母にうんざりしていた。
母は元来冗談が好きで寛容な人間だった。
やることが大胆でおおざっぱ、私と違って手先も器用で何でもできる人だ。
どこかで何かが間違ってなければ仕事をするなり違う人生だっただろう。
悲しいことが多かったであろう母。
なにかを嫌うということにエネルギーを向けることで
自分を守っているのかもしれないと最近は思うようになった。
あのとき、下手をやってしまった・・・
こんな風に過去を悔やむことが少しずつ私にも増えてきたせいか
母にもあの時ああすればよかったと落ち込む時間があるのだと理解できるようになった。
一番嫌いなのは失敗した過去の自分自身。
いかに一生懸命その人を嫌いなのか語る母。
そして、嫌いという相手に実際会うと母は愛想がいい。
少しも人を嫌えていない母の態度になんだか寂しさを感じるようになった。
ココ