ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

若かりし頃。おしゃれの暗黒時代

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いふりこぎ
えふりこぎ。

東北地方で使われる方言で見栄っ張りとか、ええかっこしいの事を言うのだけど
私には脈々とその血が流れている。

 



お洒落ですね。



先日。

前から興味のあったサークルの見学に行った。
私はわりと人見知りなので見学に行くにも随分悩んで勇気がいった。
けれどもいつまでも愚図愚図して考えていてもはじまらないので思い切って参加してみた。



その日は雨ふりだったし夜だったせいか参加している人は4人だった。

少人数のおかげであまり緊張せずにリラックスできたのだけれど、少し遅れてきた20代くらいの男の子に

 

 

「入口にあったマーチンはあなたのですか?」
と話しかけられた。


どうやら同じ靴を持っているらしく、お洒落についてこだわりがあるようでそれから少し話をした。


『おしゃれですね』

 

 

 

「私なんて全然お洒落なんて気にしてないしその辺にある物を着ているんです。」

私はとっさにそう答えたがこれは、ある意味まったくの嘘だ。
服は安い物しかもっていないがお洒落は全然気にしてないなんて、よくそんな

ホラをふけるもんだ。



実はめちゃくちゃおしゃれだと思われたがっていて気にしている。




そして内心こう思った。


ここにもなかなかのおしゃれ童子がいたな。

 

 


太宰治で一番好き。




子供の頃からお洒落のようでありました。




この言葉から始まる太宰治の短編、おしゃれ童子



ネイビーのマントを引きずるほど長く作らせたり、わざと肩から滑り落ちるように危うく羽織りそれを小粋だと思っている。
校長から総代で賞をもらう時に、壇の上で着物の袖口から白いシャツがちらりと覗く自分の姿にうっとりする。

なかなか計算高いおしゃれをする。

 

常に人にどう見られるかを気にしている田舎の少年が青年になるにつれますます小粋に見られたくどんどん滑稽になっていくのがなんとも言えない、



 


読むたびに人の悲しい性が身につまされて、たまらない。

もはや自分だけの美意識で誰にも通用しなくてもいいのだ。

 

私も今の仕事で紺の作業服を着ているのだけれど、襟のボタンは上まで全部かけたほうがカッコよくて自分に似合う気がしている。
作業中に首が詰まって苦しくても関係ない。
首が詰まるよりも小粋さを大事にしたい。

おそらく誰一人気にしていない。



この作業服は職場の20代の男の子に譲ってもらった。

買うと高いから一枚あげると言ってくれたその優しさも嬉しい。

 

 

着た瞬間から形がかっこいいと思った。
そしてつくづく自分に似合うと鏡の前で惚れ惚れした。


作業服を着た50代のおばさんなんて誰も見ていないだろうが、私は同じものを着るユニフォームがけっこう好きなのだ。

それぞれの着こなしが活きる。

冬は首からちらりと覗かせるアイテムにも細心の注意をはらいたい。


 

 

これはきっと血なんです。

 

 

母方の祖父は99歳まで生きたのだけれど、それはそれはいふりこぎでお洒落だった。


一時間くらいかけて自転車で母の嫁ぎ先である我が家に遊びに来るにも、必ずハットをかぶり背広を着て硬そうな革靴を履いていた。

私の記憶の限りではもう隠居生活のふつうのおじいさんだったが出かける時は必ず背広かジャケットだた。

普段着でふらっと出かけるようなことがなかった。


高校生の時体調を崩して入院した時も、背広を着た祖父が私の病室に来て一日中過ごした。



その娘である私の母もその上をいく、いふりこぎのおしゃれ童子だ。

 

母がまだ幼かった頃。

 

 

色々な店が並ぶアーケード街。
母親に連れられて買い物をしていた。

まだ着物の時代だ。

 

そこで目にしたガラスのショウウインドウにあった真っ赤な革の靴。
ピカピカに光ってライトが当てられて輝いていた。

 

それを見た瞬間、どうしてもその赤い革靴が欲しくて欲しくてたまらなくなって母親にねだった。

母は7人姉弟の末っ子。子供がたくさんいて上の兄たちは学生で余裕もなかったのだから、いいという訳もなくまったく取り合ってもらえなかった。

いつもなら諦めた母もその真っ赤な革の靴だけはどうしても諦められなかった。

 

その先の橋に差し掛かった時真ん中でおもむろに地面に寝てなんとしても靴が欲しいと訴え、その気迫溢れる訴えと周りに笑われる恥ずかしさに根負けした母の母に買ってもらえたようだ。

 

今その光景を想像すると母はとんでもない子供だったようだなと少し可笑しくなる。


祖母は母が12歳の時に他界した。
親子でいる時間は大変短かったことになる。
だからこそこんなに濃い思い出が必要だったような気がしてくる。


祖母も末っ子にはついつい少し甘く、根負けしてしまったのだろう。


そのあと母は買ってもらった革靴をどうしても今すぐ履くと言い張り、靴下も履いてないんだからやめろと履き物屋さんがとめるのも聞かず素足で履いて歩いた。

靴ずれで夜眠れないくらい痛みひどい目にあったようだ。

 



それを履いている素敵な自分が目に浮かび、欲しくてたまらないおしゃれ童子だった母。



 

私は靴が好きなのでここは母の血を受け継いでいるのかもしれない。






 

時代をかんじる服。

 



最近同級生から昔の写真が送られてきて、時代を感じる姿にめちゃくちゃ笑った。



当時はおしゃれだと思って着ていたであろう服。
よくお金を出して買ったなと驚く服。


 

なかなかに痛いおしゃれ童子が写っていた。



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そういえば息子が以前帰省した時、一瞬スカートをはいているように見えて思わず二度見した事がある。



実際はただの少し長めのシャツだったのだけれど、なかなかに個性的なデザインのものをチョイスしていて血は争えないなと思った。

 

そりゃあおしゃれ童子の血をひいた、いふりこぎ家系なのだから無理もない。

 

 



若い頃のおしゃれは少し滑稽でやりすぎるくらいでいいと思っているが、あれ以来息子はあまり変わった服を着ていないので少しつまらない。

 

 

 

 

 

 

 

最近はあまり人の洋服を注意してみなくなったけれど、久しぶりに人間観察、おしゃれ観察をしたくなった。



 

 

 

 

 

 



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