以前は物を買うきっかけのほとんどが衝動だった。
過去にした買い物ぶんのお金。
全部投資かなにかに回していればいまごろは
蔵が建ってたかもしれない。
雰囲気のあるひととは。
毎年毎年季節の変わり目になると母は言う。
この時期何を着ていいか分からないのよね。
数ヶ月前の春に着ていた物が
タンスの中にあるはずなのに
毎度出てくるセリフ。
「今の時期着るものがなくて・・・」
「なにかこうちょうどいい羽織るものとか欲しい」
そしてしまむらだ、ユニクロだと
今年の何かを探す旅に出る。
若い頃。
私はアパレルの仕事をしていた。
アパレルなんて気取った言い方をやめれば服屋の店員だった。
ジーンズショップにいた時。
ジーンズのセルビッチだ、赤耳がどうの、ビックEがどうとか歴史やうんちくを言いながら何万もするボロボロの古着デニムを穿いていた。
そしてそれをお客様に勧めていた。
田舎に帰ってからは高級な紳士服専門店で働いた。
少し綺麗目な恰好をして、
「このようなお召し物はお客様のような雰囲気のある方でないと着こなせません」
なんて言っていた。
確かにお客様はみんなそれぞれかっこよかった。
仕立てのいい高いスーツはかっこいい。
高い物を着ると人は自信がついて、それに伴って高いスーツが似合う人になるのだろう。
私が高いスーツ屋さんにいた時。
まだ全然知り合いじゃない頃。
少し緊張の面持ちで店に入ってきた夫。
休みなのに何の予定もなく、夕方まで寝ていたようだ。
絶望的に暇すぎて暗くなる頃、もそもそとウインドーショッピングに出た。
何の気なしに入ったショップ。
買う気もないのに手に取っただけのシャツ。
「きっとお似合いになられますよ」
まんまと私につかまって買った8千円もするシャツ。
袖、襟、まえみごろ、うしろみごろ、すべてが違う派手な柄だった。
入荷した時
「なかなか着こなせないようなシャツだけどどんな人が買うんだろうね」
そんな事をみんなで言っていた
クレージーシャツという名前のシャツだった。
クレージーな夫によく似合っていたが、結局一回も着ないまま
何年も衣装ケースに入っていた。
詐欺師にあったようなものだったと言っていた。
衝動でするかいもの。
馬鹿みたいに服ばかり買っていた。
洋服を買うきっかけ。
こんな風に衝動だったり
自分を素敵に見せたいだったり
自分にご褒美だったり、
うっかり店員さんの鴨になったり・・・
母に昔
「馬鹿みてえに着替えてしじめんちょうでもあるまいし」
そんな事を言われた。
方言で七面鳥みたいという意味だ。
思い出の服たちは転勤のたびに持ち歩くたくさんの衣装ケースの中で毎回
ほとんど出番なく付いて回った。
それでもちょいちょい断捨離はしている。
親戚の娘っ子達が80年代の服が新鮮だから欲しいと言って古着をごっそりもらっていった時もあった。
娘と息子が家を出て一人暮らしをする時も洋服をどれでも好きなだけ持って出るように言ったらかなり減らす事が出来た。
流行りは繰り返すというが本当だった。
衣装ケースがあくたびに重荷だった服が減っていく。
もう私たちのような中年は何枚も服はいらない。
甲冑のように重いコートや、軍物のアイテムは肩がこるし体に堪える。
最近はパーカーのフードさえ邪魔に感じる時がある。
それでも・・・
どんどん減らすつもりでも油断をすると服が増えそうになる。
今年のなにかが欲しい。
それは私の母だけじゃなくて女性は多いだろう。
一目ぼれした服を知らぬふりでこっそり買って、
さもずっと前から着てたかのようにたんすに紛れ込ませる。
そういう夫もズボンが好きでユニクロだワークマンだと買ってくる。
「安かったから」
似たようなものがたくさんあるのに。
でも毎日頑張って働いてくれているのだし、訳の分からないクレイジーなシャツに何千円も払うよりは有意義な買い物だろう。
痩せたら褒美をとらせよう。
ここ数年はコロナで人と集まる機会も減ったせいもあって、価値観が変わってきた。
そもそもおばさんの着ているものなんて誰も気にしていない。
結局、ぱっと見で服がカッコよく見えるのは引き締まった体系と姿勢なんじゃないか
そんな事をつくづく思うようになった。
最近、ジム通いでケバブの肉をそぐように少しずつ腹の肉が落ちてきた。
嬉しいことに昔のパンツもはけるようになってきた。
この腹の肉。
全部なくなったらかっこいいバリバリに硬いなま生地の高いデニムを買おう。
きっと長い道のりだろう。
それまではパンツは買わないと決めている。
いけてるばあさんになるために、今日も娘のおさがり、中学時代のジャージをはいてジムで汗を流す。
ココ