ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

嫌ですやりたくありませんはいまだに言えず。

嫌なことは嫌ですとはっきり言える人間を尊敬している。
それは違うんじゃないかと思うことを言われても、

「まぁ仕方ないそうなのかもしれないな…」

腑に落ちないと思いながらもはっきり言えたためしがない。

自分の中の違和感に目を背け
「まいっか」
毎回そんな感じだ。


無理難題ばかりだった。

思うにこうなったのは育った過程にも少し原因はあるだろう。
いつも不機嫌だった母。
理不尽にキレる父。



常に人の顔色が気になるのだ。
違うとか嫌だとか伝えた時の相手の一瞬、気色ばむ顔が苦手なのだ。


今思うと私の母は少し変わっていた。
私は東北の雪深い地域で育ち、ひ弱だったので1年中風邪を引いていた。

私の通う中学の制服は赤いスカーフのセーラー服にひだスカート。
田舎にしてはそこそこ可愛いデザインのほうだった。

同じデザインの制服。
同じだからこそ差が出る見た目の違い。
裕福な家の娘は襟から可愛いニットをチラつかせていたし、
冬は暖かそうなタイツに可愛い長靴、軽そうなコートを着てどことなくあか抜けている。

くだらないことだが細かいアイテムで勝負するのが制服の着こなしだろう。


中学の制服は全員同じく町の洋品店で買う。
履くわけもないのにおまけでパンタロンがついてきた。

セーラーにパンタロンなんて戦時中の女学生でもあるまいし、
何のためについてきたのか
「こんなかっこわるいもの要らないよね」と誰もが言っていた。
そして実際に履いている人は1人もいなかった。

冷え込みの強いある朝。

着替えようとしたら暖房の前に、さも当然というようにパンタロンが置いてあった。
こんなものをはいて学校に行ったら物凄い変わり者になるのは間違いない。



「寒いから風邪ひかないようにズボンで行きなさい」
「…」

無茶なことを言われてもこんな時逆らえないのが母。
鬼の形相を想像して、なにも言えないのが私だった。


制服にいらないおまけがついてきたせいで。
恨めしい気持ち。

それでも嫌とは言えなかった。

その日から私には新しい日課が出来る。
毎朝パンタロンを履き分厚いコートを着て家を出た。

家と学校の間にある古びた空き家の陰でスカートに履き替える。
途中着替えをしているのを誰にも見られないように忍者のような素早さで。

パンタロンを脱いだ後は心も軽くなり学校に足早に向かう。
帰りもパンタロンに履き替え家に帰る。

よくこんなバカみたいなことを何回もしたもんだ。
友達は空き家の外で見張りながら着替える私を待ってくれた。

こんなもの履きたくないが言えなかった私。

でもそれも自分。

大人になった私は、この話を面白エピソードとして笑いながら人に話す。
たいてい笑ってもらえるし、何十年もたってネタになったので良しとする。


我ながらあんなめんどくさい事をよくもやったと思う。
馬鹿な小細工をする子供だったと思うがちょっと笑ってしまう。

風邪をひかせたくない過干渉な母。
ちょっと困りながらカッコ悪いパンタロンに足を通して家を出て、
数メートル先の空き家までの道のりを急いだ。

嫌なことは嫌というべきなのだろうが言えなかったのが自分。
嘘をついたりごまかすのが子供。


最近ジェンダーレス制服になって女の子の制服にズボンも作る学校が増えたらしい。
時代の先取りだったのか。
今もし中学生なら個性的でかっこいいので堂々と履いていくのになと思う。

                 ココ