ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

お酒でやらかしすんません。

父が大酒飲みだったので酒飲みに関しての話は我が家では話すことがタブーだった。

周りは酒飲みばかり。


私が小さい頃。

父の悪友たちがいつも我が家に集まって酒盛りをしていた。
繰り返し大きな声で同じことばかり話し、煙草の煙がもくもくする部屋でそれは夜中まで続いた。
今は喫煙者は肩身が狭い世の中だが当時は部屋中が煙っていたしテレビの権利も居間を占領するのもお父さんなんて当たり前だった。

私はそれでも酔っぱらった父の友人達にお小遣いを貰えることもあったので少しは良かったが、母はきっと大変だっただろうと思う。

父は飲まなければとてもいい人の典型だった。
飲んでいないと仏のような人だった。
今思うと酒も気も弱かったのだと思う。



そんな感じだったので母は酒飲みに嫌悪感を持っていた。
母と弟と暮らした時期の私は、家で酒を飲むことはほとんどなかった。

それでもあんがい酒は強かった。

家で飲むことはなかったが酒を飲む機会は多くあった。

就職で親元を離れていた間は飲み会は好きだった。
職場の少し気が張るような飲み会ではめったに酔うことはなかったが、
気心の知れた友人同士だと次の朝に、
生きてる限り二度と飲まなくてもいい
と思うくらい後悔することもあった。

私はどちらかというとアルコールに強い体質だ。
顔が全く赤くならない。


なのでどんどん勧められて飲んでしまう。
トイレに立った時に、はじめて自分がかなり酔っている事に気が付いた。

それでも幸い大きな失敗をすることなくたまに飲みすぎて電車を乗り過ごすくらいですんだ。
そのうち結婚し子育て中の数年間は飲むことはなくなった。

母親になってから、久しぶりに飲んだ酒の席。
そこで一回だけとんでもない大失態をした。
すっかり記憶をなくしてしまった夜。

はじめての体育会系な日々。

長女が幼稚園で長男が一歳くらいの頃。

幼稚園に伝統芸能をやっている人がいた。

めちゃくちゃ体育会系で昔ヤンチャだった雰囲気がただよっていた。

煙草片手にニコニコしながら話しかけられた。
幼稚園のバザーで変わった出し物をやりたいから手伝ってくれないかと言われた。

陰キャな私は、内心困ったことになったと思ったが嫌と言えない性格だ。
「は、はい。私に手伝えることがあれば・・・」
お決まりのセリフを言った。
その時点では完全に裏方を想像していた。

そうやって集められたメンバーが夕方の公民館に集められた。

そこにはお祭り好きでノリとテンションで行事を難なくこなすような陽キャ
私のような嫌と言えない気弱なカエルのような陰キャ
両方が数名ずつ選抜されて集まっていた。

話がどんどん進むにつれ、これはかなりやばいことになったと思った。

伝統芸能虎舞を4頭の虎でやるという。
それはお遊びではなく本気の虎だった。
本気の証拠に毎回神が宿っているという虎の前で柏手を打ってから練習が始まった。

私は夫と組んでその中の一頭になった。
全くの運動オンチなのに小柄だからという理由で選ばれ、嫌と言えなかったのだ。

10キロ以上ある虎の頭を持って肩車されて右や左を見回す仕草。
そして縦横無尽に場内を暴れまわる。
ひょっとこや浴衣を着た子供が虎をからかう。
虎が怒って暴れるという演目だった。
とにかくずっと動き回る。

軽い気持ちでお手伝いすると言ったばかりに忙しい夫まで巻き込んで連日、夜九時までの猛練習が続いた。

本当にハードな日々だった。

「なんだそのふにゃふにゃした動き!猫じゃないんだぞ。」
「もっと思いっきりがに股で!」

ヤンチャなお姉さんは笛を吹きながらケリを入れて、熱血指導。

重い虎を持っているので腕に筋肉が付いた。
当時ヘルパーの資格も取りに行っていて、実習の時に
「その腕のあざどうしたの?」とびっくりされた。
虎をかぶってかなり激しく動く。

連日の猛練習で腹がいい感じにへこんでかなり痩せた。


散歩中、歩いてるのら猫を見てもどんなふうに足を運んでいるか
研究のまなざし。



当日。


バザーの会場に突如現れた虎はちょっとしたサプライズで
大いに盛り上がった。
怖がって泣く子供達の頭を順番に噛み、本番は味わったことのない達成感があった。


その夜はお疲れさまの打ち上げがあった。
かなりの町はずれにある貸し切りの居酒屋。
伝統芸の親方がやっているというお店。
大きな太鼓があって叩いて騒いでもいいようだ。

お疲れさまと乾杯した。
私にとっては数年ぶりの飲み会だった。
なにより味わったことのない達成感。
いろいろあったが一つの事を作り上げた仲間と飲むお酒は楽しい。

盛り上がってきたころ、皆で交代で太鼓をたたいてみることになった。
リズムを覚えるために太鼓や笛もひととおり教えてもらったのでみんな叩くことが出来た。
自由な太鼓セッションみたいになった。

そのあたりから記憶があいまいになっていて実はほとんど覚えていない。

居酒屋の狭い店内。

太鼓の目の前で、ずっと一人で舞っていたらしい。
虎をかぶらず完全エアーの状態で。

毎回「内またになるな」と注意されたので、
ずっとすごいがに股で大股を開き生きた虎のごとく舞っていた。

太鼓のテンポを速くすると私の舞もどんどん激しくなり、
皆で腹がよじれるかと思うくらい笑ったようだ。
いつまでもいつまでも舞い続けていたようだ。

ありゃーぜったい神様が降りてたな。


後日みんなに言われたがほとんど覚えていないのだ。
夫はその時の事を言う。
スマホがない時代で良かったと思うよ」

楽しかったねおやすみなさい。

そんなことを言って目の前の代行の車に乗り込んだのだけはなんとなく覚えている。

まさかの母も

母は酒を毛嫌いしていたが最近になって聞いて驚いた。

まだ20代の頃。

理容師の見習いで住み込みで働いていた。
母の与えられた店の離れの粗末な部屋。
すぐ隣に企業の男子寮があった。


住み込みの賄いのご飯がしょぼすぎたので母は常に腹が減っていた。
年上の男子寮の人たちがパチンコの景品なのかお菓子をいつもドアノブにかけてくれた。

恋愛対象というより社会人になったばかりの母の面倒をみんなで見てくれていたようだ。


ある日、住み込み先の床屋のおやじに寮の1人がお願いをした。

いつも頑張っている母を夜に連れ出していいかということだった。

その人の叔母さんがやっている市内では名の通った高級な飲み屋。
世間知らずで休みに遊びに行く様子もない母を
たまには思いっきりおいしいものを食べさせて楽しませたい。

店のおやじは渋々だが了解した。

後日、すごくパリッとした背広を着た人たちとタクシーに乗って母は初めて夜の街に行った。

ドアを開けると知らなかった世界。
キャバレーだかサパーだかクラブだか知らないが、とにかく広くて
まぶしいキラキラの照明。


母の前にだけハイカラな料理が山のように置かれた。
「あなたいつもお腹空いてるんだってね」

笑われて子供扱いされても、それでも母は嬉しかった。
たまに思い出したように話しかけられながらジュースを飲み、お腹いっぱい料理を食べた。
耳をつんざくような音の華やかなショーを見る。
充分それで楽しかった。

しばらくするとトイレに行きたくなった。
「すみませんトイレはどこですか?」

ママの指さす方向を見ながら立ち上がった。
のどが渇いていたので立ちながら自分の横に置いてある水を一気飲みした。

そしてそのまま教えられたトイレに向かって歩きだす。
その後ろで、なぜかママが急に悲鳴を上げていた。

「きゃあああたいへん。どうしましょう」

「何をあんなに騒いでいるんだろう・・・?」
母の記憶はその辺から飛んでいるらしい。


母が水だと思って一気飲みしたそのコップ。
それは隣の人が注文したアブサンだった。
アルコール度数が50度以上あるような酒。



気づかずのんびりトイレに向かって歩く母、
後ろからみんなが大騒ぎして心配そうに見ていたのになんにも知らずに歩いていた。


そして数分後。

母はずっと吐いていた。
タクシーに何台も乗車拒否され仕方なく全員で担いで何キロもの道のりを歩いて帰ってきたようだ。
パリッとしたスーツ軍団も吐かれて最悪だっただろう。


目覚めると住み込みの自分の部屋だった。
床屋の犬がずっと心配そうに布団の脇にいた。


母の父である祖父がその日の夕方に迎えに来た。
そしてその日で辞めさせられてしまった。

怖くて何も言えなかった。
あの時スーツ軍団にも、店のおやじにも、仲良しだった犬にもさよならが言えず、
具合が悪すぎてお詫びも出来なかった。
二度と会うこともなく終わってしまったのが今でもずっと心残りらしい。




お酒の席は楽しい。
だが、とんでもない恥をさらす危険と隣り合わせだ。
娘も息子も酒が強い。
本当に気を付けないとだめだよと言いたい。



ほどほどに。

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