私について

お酒でやらかしすんません。

私について

父が大酒飲みだったので酒飲みに関しての話は我が家では話すことがタブーだった。

周りは酒飲みばかり。


私が小さい頃。

父の悪友たちがいつも我が家に集まって酒盛りをしていた。
繰り返し大きな声で同じことばかり話し、煙草の煙がもくもくする部屋でそれは夜中まで続いた。
今は喫煙者は肩身が狭い世の中だが当時は部屋中が煙っていたしテレビの権利も居間を占領するのもお父さんなんて当たり前だった。

私はそれでも酔っぱらった父の友人達にお小遣いを貰えることもあったので少しは良かったが、母はきっと大変だっただろうと思う。

父は飲まなければいい人の典型だった。飲んでいないと仏のような人だった。
今思うと酒も気も弱かったのだと思う。
そして結局父は酒に飲まれ、最終的に酒によって身を滅ぼすような結果となった。



そんな感じで母は酒に嫌悪感のようなものを持っていたので母と弟と暮らした時期の私は、家で酒を飲むことはほとんどなかった。

それでもあんがい酒は強かった。

家で飲むことはなかったが酒を飲む機会は多くあった。

就職で親元を離れていた時も、職場や友人との飲み会は嫌いではなかった。
職場の少し気が張るような飲み会ではめったに酔うことはなかったが、気心の知れた友人同士で飲む時は人並みに酔っぱらて次の朝に、生きてる限り二度と飲まなくてもいいと思うくらい後悔することもあった。バブルのなごりで朝まで飲むなんてこともけっこうあった。

私はどちらかというとアルコールに強い体質のようだ。
途中まであまり酔っぱらった感じがしなく顔も全く赤くならない。
なのでどんどん勧められて飲んでしまいトイレに立った時に、はじめて自分がかなり酔っている事に気が付いた。
それでも幸い大きな失敗をすることなくたまに飲みすぎて電車を乗り過ごすくらいですんだ。
そのうち結婚し子育てをしほとんど飲むことはなくなった。

母親になってから、久しぶりの飲んだ酒の席。
そこで一回だけとんでもない大失態をした。
すっかり記憶をなくしたことがある。

神が降りてきた日。

長女が幼稚園で長男が一歳くらいの頃。
幼稚園で知り合ったママに伝統芸能をやっている人がいた。
めちゃくちゃ体育会系で根はいい人だが怖いヤンキーって感じの人だった。
ニコニコしながら話しかけられ、幼稚園のバザーで出し物をやるのを手伝ってくれないかと言われた。
内心困ったことになったと思ったが嫌と言えない性格なので、私にお手伝いできることがあればと言った。その時点では完全に裏方を想像していた。

そうやって集められたメンバーで練習が始まった。そこにはお祭り好きでノリとテンションで行事を難なくこなすような陽キャと、私のような嫌と言えない気弱なカエルのようなメンツが集まっていた。

どんどん進むにつれ、これはかなりやばいことになったと思った。
獅子舞のように虎の頭を付けた虎舞を4頭の虎でやるという内容だった。
それはお遊びではなく本当の芸能の人を呼んでの練習だった。
本気の証拠に毎回神が宿っているという虎に皆で手を合わせ、柏手を打ってから練習が始まった。

なぜか私は夫と組んでその中の一頭になった。全くの運動オンチなのに嫌と言えなかったのだ。

10キロ以上ある虎を持って肩車されて、縦横無尽に場内を暴れまわったり、虎を、ひょっとこや浴衣を着た子供がからかい虎が怒って暴れるという演目だった。
軽い気持ちでお手伝いすると言ったばかりに夫まで巻き込んで連日の猛練習が続いた。

本当にハードだった。勇ましい虎あになるためには体中を使い日々虎になりきるための鍛錬だった。
重い虎を持っているので腕に筋肉が付いた。
全身あざだらけになり体重がどんどん減りながら当日を迎えた。腹がいい感じにへこんできた。
散歩中に歩いてる、のら猫を見ても虎の動きの研究の為じっとどんな風に動いているかまなざしを向ける日々。


そして当日。
縁起物ということで皆喜び、虎でいろんな人の頭を噛んであげてなかなかの盛り上がりだった。味わった事の無い達成感。

その日打ち上げがあった。
伝統芸能の人たちが使っている小さな居酒屋は町のはずれにあった。
二つの大きな太鼓があっていくらでも騒げる場所だった。

お疲れさまと皆でねぎらい合いながら陰キャも陽キャも混ざってお酒を飲む。
私にとっては久々の飲み会だった。
達成感で飲むお酒は楽しい。
盛り上がってきたころ、皆で交代で太鼓をたたいた。
リズムを覚えるために太鼓や笛も教えてもらったので皆が体に染み込んでいてたたくことができた。

そのあたりから記憶があいまいになっていて実はほとんど覚えていない。
私は居酒屋の狭い店内で太鼓の響きを体に感じるくらい目の前で、エアーで虎を持った格好でずっと舞っていたらしい。虎をかぶっていないので丸見え状態だ。

練習の時にさんざんに「内またになるな」と注意されたので、ずっとすごいがに股で大股を開き生きた虎のごとく舞っていた。太鼓のテンポが速くなると私の舞もどんどん激しくなり皆で腹がよじれるかと思うくらい笑ったようだ。いつまでもいつまでも舞い続けていたようだ。

スマホのない時代で録画されなくて良かった。

まるで神が降りてきて乗り移ったかと思った。


後日みんなにそんなことを言われたが全く覚えていないのだ。
夫はそうとう恥ずかしかったと思う。貸し切りでよかった。

楽しかったねおやすみなさい。

そんなことを言って目の前の代行の車に乗り込んだのだけはなんとなく覚えている。

まさかの母も

母は酒を毛嫌いしていたが最近になって聞いて驚いたことがある。

まだ20代の頃。

理容師の見習いをしていた頃。住み込みで働いていた。
母の与えられた店の離れの部屋のごくごく近所にどこかの男子寮があった。

母はいつもお腹をすかせていた。
住み込みの賄いのご飯がしょぼすぎて常に何か食べたかった。
近所の男子寮の人たちが仕事のなにかで手に入るのか、事あるごとに食べ物をこっそりとドアノブにかけてくれていたようだった。

相当年上の人達だったのか、恋愛対象というより皆で社会人になったばかりの若者を面倒を見てくれていたという感じだったようだ。


ある日その人たちが住み込み先の店主に話を持ち掛けた。

普段楽しみもなく仕事を頑張っているから、母を夜に連れ出していいかということだった。
もちろんちゃんと連れて帰ってくるし、おかしな場所でもない。
その中の一人の叔母にあたる人がやっている高級なクラブかキャバレーのような店らしかった。
思いっきりおいしいものを食べさせて楽しませたいとの話に渋々だがそこの店主は了解した。

すごくパリッとした背広を着た人たちがタクシーで迎えに来てたった一枚の一張羅を着て母は初めて夜の店に付いていった。
薄暗くて広い店内。
まぶしい照明と音楽。

母の前にだけそこの店のママであるおばさんが作ってくれた料理やお菓子がたんまり置かれた。
まるで子供扱いだと思うがそれでも母は嬉しかった。もちろん飲み物はジュースだった。
きょろきょろしながらお腹いっぱい食べてショーを見て楽しんでいた。
お酒を飲んでいないので、たまに話しかけられる程度だったが全然平気で楽しめた。
なによりどれもおいしくてお腹がパンパンいなるくらい食べていた。

しばらくするとトイレに行きたくなった。
「すみませんトイレどこですか?」

立ち上がり、のどが渇いていたので自分の横に置いてある水を一気飲みした。
そしてそのままトイレに向かって歩く後ろで、ママが急に悲鳴を上げていた。

「何をあんなに騒いでいるんだろう・・・?」

母の記憶はその辺から飛んでいるらしい。


母が水だと思って一気飲みしたそのコップは隣の人の注文したアブサンだった。
アルコール度数が50度以上あるような酒だったのに一気に飲んだので飲めたようだった。
そして気づかずのんびりトイレに向かって歩く母、
後ろからみんなが心配そうに見ていたのになんにも知らずに歩いていた。

トイレからなにやら大騒ぎしている店内に戻るころには完全に酔っぱらってしまっていた。
そして数分後。

母はずっと吐き続けた。
帰ることになってもずっと気持ち悪いと言っていたのでタクシーに何台も乗車拒否され
全員で担いで何キロもの道のりを歩いて帰ってきたようだ。パリッとしたスーツ軍団も吐かれて最悪だっただろう。


目覚めると朝で住み込みの自分の部屋にいた。
隣にそこで飼っていた犬がずっと心配そうに見ていたらしい。
そしてアブサンはしばらくの間体に残って気持ち悪いのは続いたようだった。


母の父である祖父がその日の午後に迎えに来て、そこでの仕事はその日で辞めさせられたようだった。
厳しい祖父の事だったので何を言っても許してもらえるわけもなく、あの時あの人たちにお詫びとお礼が言えないまま二度と会うこともなく終わってしまったのがずっと心残りだったようだ。


そして仲良しだった犬と、店主にもなんだか申し訳ないことをしたと言っていた。


お酒の席は楽しい。
だが、とんでもない恥をさらす危険と隣り合わせだ。
娘もどうやら酒が強いようだ。
自分も気を付けるが本当に気を付けないとだめだよと言いたい。



コロナで機会が減ったのでそろそろ飲みにも行きたいような気もする。


ほどほどに。

                     ココ





コメント

  1. ココココ より:

    ぞっとしますよね😖

  2. 匿名 より:

    同じような経験。
    自分もあります🙋
    次の日何となく思い出して
    落ち込みました☺️
    酒。怖い😑

  3. ココココ より:

    同世代ですね。
    無茶に飲んでこそ飲み会って思って飲んでました😁

  4. スティンガー五郎 より:

    量が飲めることが漢としての正義!とばかりに、若い頃はムチャな飲み方をしておりました。
    全然お酒は強くないのに、イケイケ・ドンドン(死語)でアオっていたのは、バブルという時代の徒花が咲いていたからなのでしょうか?

    いやぁ~・・・・・今はおとなしく宅飲みオンリーです。

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