ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

イトーヨーカドーは私にとってデパートだった。

 

 

 

 

東北の田舎で育ったので、知らない事、足りない物ばかりだった。


そんな環境だと、何かに出会った時の感動が大きい。



些細なことで豊かな気持ちになれた。

そんな記憶が、今でもくっきりと残っている。

 

 

 

心躍る前夜。

 

 

「明日、町さ連れで行くはんで早く寝ろ」



そう言われた日は、ドリフが終わったら大急ぎで歯磨きをして布団にもぐり早く寝た。

 

早く明日になって欲しかったからだ。




枕元に、綺麗にたたんだよそいきの服が置いてある。

コールテンの赤いワンピースに、白いタイツに、器用な母がかぎ針で編んだお気に入りのポシェットが置いてある。

当時は、コーデュロイじゃなくてコールテンと言っていた。

 

町に行く日は、朝から暗くなるまで歩きまわる体力勝負の1日になる。

 

寝不足で挑むなんて、とんでもなかった。


車を運転しない母なので、駅から一時間に一本あるくらいの汽車に乗って町に行く。

 



その駅までは、家から歩くと一時間くらいかかった。

しょっちゅう行くわけでもないので、その日だけは、たいてい奮発してタクシーで駅まで行った。



30分以上早く駅に行き
母の兄にあたるおじさんに会うのも楽しみだった。


国鉄に勤めているおじさんが、時間になると改札に出てきて
切符にパチンとはさみを入れてくれる。

 

その時、一瞬私と目を合わせ、ニヤッと笑ってくれた。




子供の頃の私は虚弱体質で、汽車でさえも時々酔っていた。

約40分くらい揺られ、そろそろ限界だと思い始めた頃に

 

”まもなく終点です"


アナウンスが入り、喜び勇んで汽車を降りる。

 

 

日曜の汽車は同じように町に買い物に出かける人で結構な混雑をしていた。

 

 

自分の出発した田舎町に比べると、その駅は何から何までハイカラな匂いがした。

実際に、降り立った時の匂いが違うように感じた。

 

東京など行ったことのない、ど田舎育ちの私にとって、その町はまぎれもない大都会だった。

 


なんでも揃っている夢の建物。



駅前に降り立って、数メートル歩くと、そこに8階建てのイトーヨーカドーがあった。

 

まばゆいばかりにそびえ立ち、てっぺんに今にも飛び立ちそうな鳩のマーク。


それはデパートだった。

 



大人になってから、イトーヨーカドーはデパートではなくてスーパーだと知って、結構な衝撃を受けた。

 

高校を卒業して、横浜の本物のデパートで働いた時、田舎とは桁が全く違う商品の数々を見て、一流の品物はどんな人が買うのだろうと不思議な感じがした。


素敵なものがたくさんあるのだけれど、あの頃のイトーヨーカドーの店内のワクワク感は、そこにはなかった。

 

 

私の知っているデパートは、あくまでも汽車に揺られて酔いながら行った、駅前にそびえたつイトーヨーカドーだった。

 

 

たいていは、数時間後に試着室だったり、人型のマネキンの脇に疲れ切って座り込んだ。面白くなすぎて座る場所ばかり探した。

母の買い物が、あまりにも長すぎるからだった。

 

子供服の売り場では、何度も服を体にあてがわれる。
近くにいないでうろうろしていると、迷子になるでしょと怒られる。


たいていは午前中いっぱい服だったり、細かなものを見て歩き、昼になると8階のファミリーレストランでお子様ランチを食べた。


ガラス越しに見るサンプルのお子様ランチ。

真っ赤なサクランボが浮いたメロンフロートや、プリンアラモード

 

それを食べたくて、ついてきたと言ってもいいくらい楽しみな時間だった。





おそらく母は、当時セコセコ貯めたへそくりを、多めに財布に入れて行ったのだろう。

 

 

私の服だったり、編み物の毛糸だったり、こっそりと自分の父である祖父にプレゼントするセーターのような物を買っていた。

とにかく8階建てのフロアーを隅から隅まで見て歩く。

 


途中、商店街まで足を延ばした後も、最後は再び駅前のイトーヨーカドーに戻り、最後まで迷っていた品物を再び見に行って買っていた。



当時は、どの売り場にも制服を着た店員さんがたくさんいて、熱心に接客していた。


見るからに、田舎から買う目的で着ている母のような客は、さぞかし恰好のカモだったろう。

 

途中、荷物が多すぎて地下にあるコインロッカーに一旦買ったものを預けることもあった。

 


そして夕方近くなると、大好きなサンリオショップに行くことを許される。

待ちに待った時間で、もらったお小遣いを握りしめて何度も何度も店内を歩き回る。

同じような女の子がうじゃうじゃいて、混雑していた。


その中でも、家庭ごとの親の考えだったり、経済力の違いで、買いっぷりのいい子も結構いたが、私は欲しいものがありすぎていつまでも一つも決めれなかった。



どうしようどうしよう・・・・・



今でも覚えているのは、マイメロディーのヘアピンと櫛をかなり長い時間悩んで買った。

 

 

あの頃、物を買ってもらった時の喜び。

 

ワンクリックで、なんでも手に入る今の子どもたちは、あんな喜びを感じる事が少ないのかもしれない。




 

 

 

最後に母は、地下の食品売り場に寄った。

 


今から汽車で40分揺られ、駅からも遠かった我が家まで帰らなければならないのに、

必ず買うものがあった。


1リットルサイズの果汁100%オレンジジュースを2本。

玉ねぎのマリネになったもの。

この二つは必ず買っていた。


どちらも、地元のスーパーではお目にかかれないものだった。

 


食品を買った後は、コインローカーに預けた荷物を持って駅まで歩く。
駅前なので、ほんの数分なのだけれど、大量の荷物が指に食い込んで、足も重かった。

 

一日中買い物について歩き、くたくたになっている。
それでも気分は、まるでディズニーランドの帰り道のような満足感だった。



何歳ごろだったかは忘れたけれど、ヨーカドーの隣にケンタッキーが出来た。
それからは、帰りの荷物にチキンの箱も加わった。

 



汽車に乗ると、外はすっかり暗くなっている。

 

何駅目かで、おそらく線路を兼用しているからか、時間調整のために20分停車する駅あった。

 

そこのホームに立ち食い蕎麦があって、短い時間に汽車から降りて、急いでかけそばを食べる人がたくさんいた。

私も、いつも間に合うかドキドキしながら蕎麦をすすった。

 


汽車は再び走り、満腹になったせいもあり、少しうとうとしかけた頃、
母によって起こされ、夢のような一日が終わる。


大荷物でタクシーに乗るか、本当に時々だったが、気まぐれに父が駅に迎えに来ている事もあった。

 

家に着くなり、オレンジジュースを飲みながら、買ってもらった物を広げた。

そういえばあの頃は、新しい服の匂いや、紙袋の匂いが好きだった。

 

 

母はきっと、隙を見て、祖父にあげるものや、こっそり買った高い物など押し入れに隠していたのだろう。

 

 

 

 

 

駅前から鳩が消えるなんて。





数日前。



駅前のイトーヨーカドーが今年の9月で撤退というニュースが流れた。



 

 

時代の流れだとは言え、この決定は本当に寂しい。

 

 

 

昨日、その駅前のイトーヨーカドーを、たまたま夜に車で通った。

 


赤と青に白い鳩のマークが夜空に光っていた。


幼かったころから見ていた、そこにあるのが当たり前だった光景。


あと数か月であの看板もなくなるのだとすれば、きっと駅前の景色は様変わりする。




執着はただのノスタルジーなのか。

 

 


10年もたてば前の景色を忘れてしまうのだろうか。


 



あの鳩を見たら、もう一度だけでいいので、

 

母とイトーヨーカドーというデパートめぐり

 

これをしてみたくなった。


                 ココ