世の中変わったものだ。
価値観が昔とまったく変わってきている。
自分もついこの前まで若造だった気がするのに。
いつの間にか
「今の若い子は」
なんていかにもなおばさんワードが自然に出ている。
待ち合わせの感覚。
金曜日。
娘が明日の朝10時集合で友達と遊びに行くと言っていた。
土曜日の朝。
あと5分で10時なのにまだ部屋にいた。
私は子供の成績にはほぼピリピリしたことはない。
でも時間や礼儀で舐めた事をしているとなんかカチンとくる。
学校や試験などは意地でも早めに行かせるしその甲斐あってか、子供も早く行かないと気が済まないくそ真面目タイプに育った。
でも友達との約束などは見ているとけっこう平気で遅れる。
ものすごく遅れるというより、一二分遅れそうな時に出発をしているのが見ていてイラっとくる感じだ。
とは言っても、実は自分も褒められるほど若い頃ちゃんとしてはいなかったのだ。
人に厳しく自分に甘い、母なんてそんなものだ。
以前の職場で大幅な働き方改革があった。
本社の方針でパートに始業前の1分単位で時給が出ることになった。
着替えや支度も業務に含まれるという解釈になったようだ。
ありがたいことにおよそ10分前くらいからは時給が発生することになったのだ。
昭和世代は職場にたいてい早く行く。
ロッカーで着替えをしながら段取りをシュミレーションして5分前にタイムカードを押して現場に入る。
でもすべてではないが若い子はたいてい五分前にタイムカードを押してから着替えをしてちょうどに現場に入ってきた。中には一分くらい遅れて入ってくる常習犯もいた。
別に悪いことをしているわけでもなく、ルール的にそれで正解なのだ。
労基が厳しいからサービス残業をしないように言われてもいた。
契約時間スタートと同時に働く時代。
でもいつもなんだかなぁと思っていた。
五分前行動って古いのかしら?
こういう感覚はきっと社会の荒波にもまれて段々と分かっていくのだろう。
そういえば昔
友人に異常に時間に遅れるやつがいた。
遅れる率は100パーセント。
あまりにも時間通りに来ないので、途中から約束をする時はそいつにだけ、みんなより1時間早い時間を告げていた。
時間通り集まったメンバーで駅の改札で待ち構えていると、1時間早い時間を言われたそいつと正確な時間を言われた違う友達が、同じ電車に乗っていて階段から揃って降りて来た。
そいつはいつも天然な男子で、憎めない面白いキャラだった。
でも平気で遅れて許されるようになるにも、積み上げた関係性や許されるくらいの人気者になるような才能も必要だろう。
どう考えたって時間を守る人のほうが信用される。
部屋の娘に大丈夫なのか聞くと、みんななんとなく寝坊したりで間に合わなそうなので急遽時間が30分後に変更になったという。
最近はスマホを持っているのですぐに連絡できる。
だからか 待ち合わせに遅れることに罪悪感もなくなり、待たされても腹もたたないようだ。
それにしても結構早起きしているのに、なんで間際であんなに焦っているのか…
連絡の取れないスマホのない時代は時間通りつくために早く出た。
待ち合わせ場所で文庫本を読みながら待ち、相手が現れた時の嬉しさ。
来るか来ないかドキドキするあの感覚。
遅れそうなとき、待っていてくれるだろうかという不安。
連絡が付かないからこそ会うまで相手の事ばかり考えていたように思う。
デートに限らず友達同士でも会うか電話か、それしか方法がないから一生懸命そこに向かった。
なんかあの頃は良かったなと思ってしまう。
はいはい、古いんでしょっ。 娘に言いながらおばさんはちょっとさびしく思う。
ココ