ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

登りも下りも人生いろんな事があるなぁ。

 

 

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この前、9合目からの登山をした。

8合目まで車で行き、そこからリフトで9合目まで移動。

残るはあと一合。

 

距離にして600メートル、高低差155メートル、約40分。

 

と、言われても正直よくわからない。

 

 

山の1合。

米の1合くらいの気持ちでいた。

 

 

 

だが、

 

 

そんなはずはなかった。

 

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まずは69のカーブ

 

 

昭和40年に開通した岩木スカイラインという有料道路。

助手席だと酔うので運転したのだけど、運転しながらでもちょっと酔うくらいぐにゃぐにゃのカーブが続く。


山道を車で登っていくとだんだん雲が下になって空から下界を見下ろしているような気分。

 

8合目の駐車場に到着した。



8合目からも登山道がありそこから登る人もいれば、リフトで9合目まで行く事もできる。

 

9合目からの登山は体力のない人や初心者でも比較的楽に挑戦できて人気がある。


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観光がてらの山登り、小学生を連れたお父さんや大学生のグループなど様々。
中には70代くらいのご夫婦もいた。

初心者でも挑戦しやすい山とはいえ、お気楽なサンダル履きでは登れない。
でも過去には何を勘違いしたのか革靴にきれい目の格好で場違いな感じで登る人を見たという話をあとから聞いた。

 

 

 

1合を軽くみていたのだろう。

 

 

 

 


途中からずっとごつごつした岩場が延々と続き傾斜がきつくよじ登る箇所もある。
どこに足をかけるのかを自分で判断しなければならないのが地味に怖い。

その判断をミスると大事故につながりかねないような岩場。

自分が岩を間違えて落とすと確実に後ろに迷惑をかける。

 

 

高所恐怖症なのに一瞬後ろを振り返ったら、あまりの高さに驚いて震えた。

崖をのぼっているような気分だった。




どうりで降りてくる人がぜいぜいはあはあと息を切らしながら挨拶しているはずだ。


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子供でも余裕で登れる山だという夫の話を鵜呑みにしたばっかりに、コロナ明けの病み上がりでひどい目にあったと内心思いながら登った。

 

 

 

前にいる一年生くらいの小さな子供がどんどん登っているのがすごかった。

体も軽いし怖くもないのだろう。

 

心配性なので万が一足を踏み外したらと想像するだけで気が気じゃなかった。

でもよく考えたら自分の身の安全を心配するべきだ。

よくあんな小さい子をつれてくるなあなんて思ったけど
余計なお世話だった。


 

 

 

山頂に近づくにつれてどんどん涼しくなっていく。





やっとの思いで山頂につくとやはり最高の眺めが待っていた。

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岩の上で休憩し来てよかったと感動したのもつかの間。

下山は登りよりも大変で、完全にお尻をついてゆっくり降りた。

途中狭い道では渋滞を作ってしまったのが申し訳なかった。



 

 

 

 

とても意外だった話を聞く。




後日。


彼岸の墓参りに行く道中。

その時の山登りの話を母にした。


昔、お山参詣の出店で引いた占いで辛く悲しい思いをしたから、あの山が大嫌いと言っていた母。
山に登った話もするかどうか正直少し迷った。
そんな母の口から驚きの言葉が出た。



私なんてあの山に3回登ったよ。
それも麓から5時間くらいかけて。

9合目からなんてもんじゃなくてね。

 

 

 

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若かりし頃、二人の兄と初登山。

その後女の友達数人で登った事もあった。

当時の若者は、良く山登りをしたのだろう。
毎回来なきゃよかったと思いながら、それでも山頂につくと感動したという。
楽しかったようだ。


3回目の登山は友達が足の付け根が痛くなって泣く泣く諦めて途中で下山したという。山は恐ろしい場所だから諦めも肝心だという。

 

 

 

私にいつも悲しかった話ばかりする母にだって、そんな一面もあったのかと改めて気がついた。

 

 



山を見ると悲しい日もあるのだろう。
でもその山で楽しかったことだってある。
なにかのきっかけでそちらを思い出す日もある。


同じ景色でも見え方が変わるのは
結局は今の自分の心を写しているだろう。




母は悲しいことが多かったであろう人生だ。
でも長い長い歴史の中にはそんなにも弾むような時間があった。


そう考えたらなんとなく心が楽になった。


それにしても麓からの登山は私にはきっと無理だ。





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