ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

先にたたないのが後悔だけれど、今すごく会いたい人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まりこさん。


まさかこんな事になるとは夢にも思いませんでした。


正直に告白すると、私はあなたに何度も腹を立てたことがあります。
腹を立てることの方が多かったと言っていいかもしれません。

素直でわがままで、自分の思いどうりにならないとすぐに怒ったり悲しんだりするあなたがどうしても理解できないときがあったのです。



私たちは知り合って何年間か、本当に頻繁に会って話をしました。

静かだけど、うるさいわたしたちのおしゃべり。
たくさん人の悪口を紙に書いておおいに盛り上がりました。


いつもなんにでも興味があって、なんでも食べてみたくて
なんでも見たくて、なんでもやってみたいあなたと一緒にいると私もずいぶんと色々な経験をしました。




あなたの愛する夫は
いつも私を名字で呼び捨て。

わたしはあなたと仲良くなるより先にあなたの夫とカーリング場で知り合いになりました。

知り合ったばかりなのに、あなたの夫は私に言いました。
「わたしの奥さんにあなたのメールを教えていいですか?」

そして言ったのです。
私たちと友だちになりましょう。


大人になって友だちになりましょうなんて言う人は見たことがなかった。
あなたたちの素直さは眩しすぎて時に気恥ずかしいとさえ思いました。

 

そして出会ってすぐに私はあなたに猛烈に腹を立てました。
覚えていますか?


文章が上手く伝わらずに誤解され、
ならばもう分かってもらわなくてけっこうと私が言ったのです。
あんなに人に怒ったこともはじめてだったかもしれません。
その後のあなたのしつこさったらなかったです。



今考えると仕方なかったのです。
お互いの考えがきちんと伝わってなかったのです。


メールの文章でのやり取りは、そのあとの年月でも何度も色々な場面で行き違い
そのたびに私たちは会って決着をつけました。

 

時にはあなたが突然玄関先にに立っていたり、私の苦手なテレビ電話がかかってくるのです。

会って話さなければきちんと伝わらないから。
アポもなにもあったもんじゃありません。


あなたの人との向き合い方は私とは全く違っていて
あなたたち夫婦のファンキーさは心の中でいつも憧れでした。





あなたが良く言っていた

私はいつ死んでもおかしくないからやりたいことはすぐに全部やる。


なんてわがままな人なんでしょう。



大人になったら誰だって我慢ばかりしているのに全然しないんですから。


 

それでも私は知っています。

 

あなたが夜中に急に具合が悪くなった時。
一緒に急患で病院に行った時、
今から痛いことをされると説明したら
とっさに太ももをつねって歯を食いしばって耐えているのを見ていました。


週3の透析や肝炎や甲状腺やそのほか色々な病気で病院に通っていたあなたにとって、
日々の生活はまさに命がけだったのです。

我慢ばかりの日常だったことでしょう。

それでも傍目にはまったく病気をしているように見えなかったと思います。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたが近くにいるから会いたいと連絡してきた今年の春。

娘がコロナの最中だったのできちんと伝わるようにメールで返信しました。

曖昧はだめだと思ったのです。

 

「家にコロナ患者がいるので絶対に来たらダメです」
「コロナになったら大変だからあまり出歩いちゃだめです」
「もう少しの我慢」

 



40キロも離れた土地から来たのにどんなにか、がっかりしたことでしょう。


目を見て顔を合わせて会話をしなければ、うまく伝わらないのに冷たい文章だけではっきりと断りました。


 

 

 

 

 

 

コロナになってからの数年間で何度かきた連絡。

「会いましょう。」
「おしゃべりしたいのでランチはどうですか?」


コロナが収まるまでもう少し待とう。
あなたは感染したら大変なことになるのだから。


 

正直に言います。



私もコロナが怖かった。
どうしていいか分からなかった。
なので避けていたような気もします。
当時はみんなそうでした。

 

 

そのうちに会って、おしゃべりできる日が来るから。




 

 

 

 

 

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少し前に亡くなっていたというあなたの遺影。
今日やっと見ました。


なんの冗談だろうというほど笑っていました。


いつ死ぬか分からないと言っていたけれど、わがままなあなたはずっと死なないような気がしていました。



 

あなたの愛する夫は、子供のように次から次へと流れる涙を手の甲でふいていました。




涙を右手でふいて左手でふいてを繰り返しながらする手話は、まるで幼い子供のように見えた。


 

 

ずっとずっと昔。
知り合ったばかりの頃。
数人で飲みに行った居酒屋。

 

 

私一人が聞こえる人だったとき
さっぱり通じない手話でのおしゃべり。
何を話しているのか分からない。

 

あなたたちは決してあきらめずに
私が孤独にならないように

夫婦で
何度でも分かるまで
はなしをしてくれました。


なぜ?
という手話。
わからない
という手話。

何度使ったかしれません。

わからない時は筆談で何度も書いて真っ黒になった紙。

 

 

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どこかに出かけて
ありがとう
という手話をお店の人がしたとき
あなたは本当に嬉しいと言っていた。

 

 

ありがとうを言いたいけれど
でも今日はあなたの遺影に
どうしてもごめんなさいしか言えなかった。




いくら言い訳をしたところで、
あなたの遺影は笑ってばかりで、
あの静かだけどうるさいおしゃべりは二度とできないのですね。


 

あなたは何回も
わがままにしたいように素直に生きろと
教えてくれた人です。

聞こえないことで
どんなにか孤独な時間もあったことでしょう。

だからあの時間、私を孤独にさせないようにしてくれた。


信じられないくらい気が強くてわがままに生きた60年の生涯。

自由なあなたの生き方は私にとって憧れでした。

 

 




ほんとうにほんとうにありがとう。





                 ココ