会えなかった友人。
今年の3月に15年ぶりに友人達と集まりとても楽しかったのだが、
その日急きょ孫の面倒を見るために、会えなかった友人がいた。
その友人は私とあまり年が変わらないのに20歳という若さで結婚し、3人の子どもを育てた子育ての大先輩だった。
我が家の長女と彼女の末っ子が同じ年だ。
はじめての子育てをしていた20年以上前。
当時、色々な事を相談したし頼みを受け入れてくれた器の大きなひとだ。
彼女は結婚が早かったので、とても苦労したようだ。
子育てを相談する相手もいなかったようだし、えらく亭主関白な旦那さんだった。
きっと友人が美人だから心配だったんだと思う。
表向きうまく旦那さんを立てていながら、おそらくものすごく愛されていた。
当時幼稚園からとても近い場所のアパートに住んでいた友人は、しょっちゅう子供達を預かってくれた。
すごくのんびりした喋り方で彼女に会うと癒された。
彼女を頼るのは私だけでなかったし、困ったときに甘えさせてくれる人なのだ。
私は夫の父が60歳で亡くなった時、うつ病になった。
心が病んだ状態で様々な雑事をしていた。
友人は何度か当時まだ幼かった息子を預かってくれた。
いろいろな用事を足しに行くとき、置いてっていいよと声をかけてくれた。
ご飯を食べさせ、お昼寝をさせ、安全に見ていてくれた。
息子の大好物の薄皮つぶあんパンをいつもおやつに買っておいてくれた。
今思うと当時私の心は完全に壊れていた。
「中央分離帯にぶつかるって人が聞いたらよくある事故に感じるかしら。」
現実から逃げたい衝動からそんな良くない考えが頭をよぎった。
自分の衝動が危なくて子供を乗せて運転することが怖くなっていた。
おそらく普通じゃないと感じていたのだろう。
その友人は何も聞かずに
「いい方向にいくように祈ってるね。」
いつもそう言って私を助けてくれた。
春に会えなかったその友人。
グループラインで次はぜったい会おうねと会話をした。
自然のまま。
10日ほどまえ。
私は早朝の山道をひたすら運転していた。
今年はバタバタしていてゆっくり紅葉を見に行くこともなかった。
たぶん今年最後の美しい紅葉を見た。
苦しくなるほど美しい紅葉だった。
毎年変わることなく紅葉し、しばらくすると葉っぱを落とし雪に埋もれる。
春になると忘れずにきちんと芽吹き緑の葉っぱをつけまた繰り返す。
森は自分から何かすることはなく、ただそこに存在している。
そこに微塵も悩みなど感じられず、疑いようのない揺るぎなさがある。
考えてみれば人間の寿命も進むべき道も結果が決まっていると思えば少し気楽になる。
すべて運命なのだとしたら、あの時ああすればよかったとか、途中の何が悪かったのだろうとか考える必要がないのだから。
決まっている事に向かってただ進んでいるのだとすれば、どうやったって抗いようがないのだから日々淡々と思うがままに暮らせばいいのだろう。
50代からの人生。
残り時間は自由でありたいと思った。
カーブを運転しながら山の偉大さに圧倒された。
春は海沿いのルートでしたドライブだったが、今回はなぜだか山越えをしたい気持ちだったのだ。
再会
数時間後。
春に再会した3人で友人のご主人の遺影に焼香をした。
15年ぶりの友人との再会だった。
横には3人の子供達が並んで立っていた。
そこには15年の歳月がなかったかのように変わらず美しい友人と、
やはり15年たったのだとはっきり分かる立派な子供達3人がいた。
あんなに支えてもらった友人との悲しい再会だった。
何度も会ったし一緒にお酒を飲んだご主人。
友人のご主人は59歳という若さで急逝した。
ろくに悔やみの言葉をかけることも出来なかった私に友人は
「落ち着いたらお茶でもしよう。遠いところから来てくれてありがとう。」
どうしてこんな時にこんなに気を遣ってくれるのだろう。
どうしてここまで人に優しくできるのだろう。
別れはなぜこうも突然やってくるのだろう。
今年は早すぎる別れが多い。
テレビも訃報が多く、とても悲しい。
当たり前だと思っていた普通の暮らし。
退屈で平和な暮らしほど貴重なものはないのだと、最近強く思う。
ココ