考えさせられる映画を見た。
二回見た。
1980年。
韓国の光州市で民主化運動。
取材のためにデモの中心地へ行こうとするドイツ人ジャーナリストと
彼を乗せたタクシー運転手の実話。
情報統制は現代のロシアにも共通する。
正確に国のやっている事が分からない国民。
どんどん生活が脅かされ街に銃声が響く。
何を信じていいのか不安な市民。
今自分たちに起きている理不尽な状況。
正確な情報を世界に分かって欲しくて、それをカメラをに収めようとするジャーナリストを
タクシーに乗せて二人で命がけでの移動。
目まぐるしい映画だった。
なまなましさもあった。
軍は国民を守るのではなく国の命令で動いていて、上の命令とあらば丸腰の市民にも銃を向ける。
そして機械のように動きながらも心の中では葛藤している兵士もいる。
今のウクライナも同じようなことが現実に行われているのだろう。
映画ならではの人の温かみやユーモアがあったのがせめてもの救いだった。
でも実際はきっと
本物の恐怖と
本物の怒りと
深い悲しみがいくつもあって
今もこの世界では誰かが死んでいるのだろう。
人は生まれる場所は自分ではえらべない。
そして生まれ落ちた土地で育つ。
山を隔てた隣の町の常識と自分の常識が違うこと。
違うことにどちらも決して非などはないはず。
ゆるせない。
自分との少しの違いも許せない。
許せない相手の平和な日常を
当然のように奪う。
あなたとわたしは同じニンゲン。
そんな当たり前に気づけば
この世はこんなに争わなくていいのに。
せめて自分にできる小さな平和運動。
自分とかかわる相手。
あなたもわたしも同じ。
相手を認め、穏やかな言葉を交わしながら
日々を過ごしたい。
ココ