ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

へんしんはふようです。

返信不要。



最近。


この表現が突き放したように聞こえ冷たい感じがするとか、返信するかどうかを決めるのは受け取る側なので指示されたくないという意見があるという。




人によって捉え方は違うものだなと驚いた。


今度使う時は状況や受け取る相手の事を考えなければと思った。



でも。



私はわりと"返信不要”という言葉が好きだし
よく使うほうだ。




それはたぶんたくさんの優しい返信不要に出会ってきたからだと思う。



二つ前の勤務地で



長女が8歳、長男が5歳の夏。
次女が産まれた。


3人目ということで余裕の子育てだと思っていた1ヶ月健診。

顔見知りのドクターと談笑していたら
次女の心臓の病気が見つかった。



ショックで自分が立っている床が一瞬斜めになったかと思うような感覚があった。


周りに助けられた日々




実の母が来てうえの2人の世話や食事の支度をすることとなった。
夫の母も上の子達の通院や時には遊びに連れて行ってくれる等、惜しみなく協力してくれた。

2人のおばあちゃんの心の中は、おそらく次女のこの先を案じ心配だっただろう。



それでも一切のネガティブを口にすることなく支えてくれていた。




当初の予定より長くかかり初夏に出発し冬になるころに東京から戻った。



戻ったのが冬という事もあり、特別な配慮で地元の病院に入院し経過を見ることとなった。
看護師さん達の気遣いで、週に一度位は上の子達のところに帰って泊まって来なさいと言われた。


まだ幼いおねえちゃんとおにいちゃんの事を心配してくれてのことだった。



そんな時。

病気が見つかった時からの付き合いですっかり仲良くなった看護師さんから
夜中にメールが来る。



[今日は上の子達にお母さんを二人占めさせてね。こっちは任せてね。元気でいますよ。
返信はいりません。]





携帯の文字を眺めながら感謝が溢れた。





また、病院に付き添っていると母から時おり連絡があった。


あなたの友達が寄って差し入れをしてくれたよ。言わなくていいと言われたけど…
慌ててメッセージカードの名前を聞いて連絡をするとこんなふうに返事が来た。



[できることがあったら連絡してね。
返信不要。]



こんな事もあった。

遊びたい盛りの5歳の長男を幼稚園のママ友が帰りに連れていってくれた。
もちろん事前に私の母に、きちんと聞いてからの行動だ。
そしてこんなメールをいつもくれた。



[遊びに来てくれるとうちの息子が喜んで2人で遊んでくれるので、私がとっても楽チンなのです。助かってます。なので息子ちゃんをお借りしますね。 返信不要です。]




もちろん自分が楽をしたい訳ではなく、彼女は細心の注意を払って見ていてくれる人だ。



相手に気を遣わせないという優しさに溢れた返信不要だった。




思い返すとたくさんの人に助けられてきたのにきちんとお返し出来たのか怪しいものだ。

これだけはとおもうこと



なんの心配もなくいれるようになった今。





子供達には"返信不要”の中にある
人の優しい気持ちや、
人に対しての配慮。




それを感じることが出来、
そういう行動が出来る人になって欲しい。




そんな風に思う。





ココ