胸がはりさけそうな気持ち。
私はちょいちょいそんな気持ちなる。
どれだけ情緒不安定なんだと思うが、なるのだからしょうがない。
私のように適当な性格でも、一応親として3人子育てしてきたからなのか、子供の体調不良は目を見ると瞬時に気付く。
なんとなく目に力が感じられず嫌な予感がする。
次の日あたりには、頭が痛いとか寒気がするとか言い出し
あーやっぱりそうだったかと思う。
どこのお母さんもそうだろう。
長女の年齢を考えると、20年以上親をやってきたのだから
もういい加減慣れてもいい頃だ。
子供が具合が悪いときの、あのなんとも言えない絶望感。
普段は口うるさく小言が多い母親なのに、猫なで声で心配し普段のだらしなさなんてどうだっていいから早く元気になって欲しいと願う。
買い出しに行くと、ゼリーだのチーズ蒸しパンだの、普段は買わないようなちょっぴりお高いものも片っ端からかごに入れる。
胸がはりさけそうなのだ。
大袈裟なのだけれど、心をすべて持っていかれる数日間。
さかのぼること5年前。
大学4年の息子が高校生の時。
修学旅行の一週間前に、夫がインフルエンザになった。
それが息子に感染し病院で、日数的に残念ですが治ったとしても行けないですとドクターに言われた。
夫を責めてもしょうがないのだけれど、内心まじかよこのくそと思った。
熱にうなされる息子にかける言葉もなく、胸がはりさけそうな気持ちで回復を待った。
治ったあとも学校で自習なんて、可哀想すぎる。
熱は正味二日間ほどで下がった。
隔離部屋で暇そうな息子。
どうしたものかと思っていたら、担任の先生が息子の様子を心配して電話をくれた。
色々と細かい経緯を話していたら、ちょっと待っててくださいと先生が電話口で周りの先生たちと相談をはじめた。
インフルで休む一日前に熱で早退したので、その日が本当の発症日じゃないか、解熱してるから間に合うじゃないか、ドクターに確認の電話しようぜ、医者が計算を間違ってるんじゃないか?希望は捨てるな、そうだそうだと先生達が電話の向こうで随分カジュアルな口調で話し合いをしていた。
お母さん、希望は捨てないでください。相談しますからと先生は一旦電話を切った。
数分後電話が鳴り、息子を電話口に出すように言われた。
「おい、修学旅行にいけるぞ。」
電話口から洩れる音、職員室の先生たちの優しさに手を合わせたい気持ちだった。
息子は修学旅行の当日、新幹線の駅まで送迎する車内でマツケンサンバをかけて、大きな声で歌いながら出発した。
私はあれからマツケンサンバが好きになった。
悪夢、ふたたび。
先月の末。
デジャブ感があった。
嫌な予感が止まらないのだ。
何も起きていないうちから憂鬱でしかたない。
こういうときの母親の勘は間違いがない。
高二の娘。
テスト期間に、頭が痛いと何回か言っているのが気になっていたが、頭痛薬を飲みながらやり過ごしていた。
テストが終わったら夜になると微熱が出るようになった。
なんとなく元気もなく、目に力が全然無い。
修学旅行まで一週間ほどだった。
普段の一週間なんて、あっという間なのに、こんなときの一週間の長さは尋常じゃなかった。
娘はコロナでもインフルでもなかったけれど、微熱と頭痛と倦怠感と食欲不振。
念のためしばらく学校を休ませていた。
もうこの日以降にインフルになったら修学旅行は間に合わないという日。
夫が38度の熱を出した。
本当は少し前から具合が悪かったのだろうが、鼻水をぐずぐずさせながら仕事に行こうとした。
鼻水が気になる私に熱を測るように言われた。
「熱はない!」
そう言いながら、一旦は拒否した。
しぶしぶ測ったのは、殺気だった私の目が恐ろしかったのだろう。
熱があるときの体温計の計測の早さは物凄い。
早速、夫も別室で隔離した。
熱があるくせに隠して仕事に行こうとした夫に、いろんな意味で説教したい気持ちだったが、私も自分の出勤時間が迫っていたのでそのまま仕事に行った。
夫も結局コロナでもインフルでもなかった。
家庭内シェアハウス状態で別々に過ごし、娘も出発の前日あたりにはすっかり回復した。
そして火曜日の早朝に無事修学旅行に出発した。
今は駅の裏に住んでいて、娘を送っていく必要がなかったので、家のなかで盛大にマツケンサンバをかけて玄関で見送った。
あの胸がはりさけそうな気持ち.
娘が出発した瞬間に、嘘みたいに消えていた。
修学旅行に行かせたい。
これほどまでに私が思うのは、私自身にちょっと苦い思い出があったからだ。
今から何十年も昔。
高校生の時一時的に血液の何かの数値がおかしくなって一ヶ月以上入院し、修学旅行に行けなかったのだ。
当初入院期間は二週間の予定で、修学旅行は全然間に合うはずだったが、入院してからマイコプラズマ肺炎になって期間が大幅に長引いた。
入院前全く風邪なんてひいてなかったので、今思うと院内感染だった。
最初の病室で同室にゲホンゲホンと咳をしている人がいた。
今ほど色々なことがきちんとしていないゆるい時代だったし、マスクもしていなかった。
それでも当時は修学旅行に行けない事は、不思議とそこまで悲しくなかった。
先輩が心配して毎日お見舞いに来てくれたり、帰ってきた同級生にたくさんお土産を貰ったり嬉しいことも多かったのだ。
先月、同級生とひさしぶりに会って思い出話をしたとき、修学旅行の話になって、私が行ってないことをすっかり忘れられていた。
鹿がどうだったとか、いろんな話になって、行ってないのだよと話したら
ごめんごめん、行ってなかったっけ?
その場にいたような気がしてさ。
全然気にしていないに、ちょっと気を遣わせてしまうのが申し訳ない気持ちになる。
私の前で修学旅行の楽しかったことで盛り上がりずらいであろう事が、高校生の時も気まずかったのを思い出した。
旅はたぶん、想い出になってから、共有できるからいいのだろう。
なにはともあれ、娘が修学旅行に行けてよかった。
あとで説教。
ここまで胸がはりさけそうになるのは、私も一応は母親だからなのだろう。
それにしても
夫。
熱を隠していた。
胸がはりさけそうというより、
あのときは
はらわったが煮えくりかえる気持ちになった。
ココ