同じ目的を持って、ひとつの場所に集まって,偶々言葉を交わす。
そこにもきっと、なにかの縁というものがあるのだと、この歳になると思うようになった。
この土地に引っ越しをしてきて3年目の春。
少しづつ新たな知り合いも増えた。
その方は、たった一言だけ会話をした方だった。
突然亡くなったと聞いたとき、なぜか頭から離れずに、いまだ彼の人生について考える。
どこか懐かしさのようなものを感じるその眼差しに、少しだけ父に似たものを感じたからかも知れない。
それは、なにか欠けている自分の一部分を探しているような少しぼんやりとした雰囲気。
心の奥底に、忘れたくないなにかを持っているような、少し秘密めいた佇まい。
昨日、煙突から煙となって旅立った。
自分自身と再会することはできましたか?
心の中で話しかけた。
新たな名で生きていた。
彼は数年前、千尋が名前を失って、千になったように自分自身の名前を失っていた。
自分が誰であるのか分からない。
保護されて、数か月間、医療の力で手を尽くしても、取り戻すことがなかったのか、詳しい事はわからない。
新たな名を持って、前向きに生きていた。
はじめて聞いた苗字だった。
彼の名前を聞いた時に感じた不思議な感覚は、そのせいだったのかもしれない。
旅立ったそのあと、本当の名前と過去の失われた記憶を取り戻せたのだろうか。
そんなことを、ぼんやり考える。
忘れていた自分。
それはとても懐かしく、抱きしめたいような気持ちになったのか。
それとも、再び忘却の彼方へと、追いやりたいような自分だったのか。
今となっては聞くことも出来ない。
誰にだってあるだろう自分の中の、記憶の彼方にある悲しかった過去。
激しく後悔している忘れたい出来事。
それさえも宝石のように価値のあるものだと、すべて失って生きていた
彼によって教えられた。
そいうえば昔、ヘルパーをしていた時、認知症になったおばあさんの家に、朝昼晩と訪問した。
いつも穏やかな方なのだが、夕方の訪問時だけは、急にそわそわと落ち着かなくなった。
記憶がこぼれ落ちて、だんだんと箸の使い方さえも忘れてしまってからも、妻として母として、家族の帰りを案じていた気持ちを夕方の気配と共に、思い出していた。
「こうしていられない。家に帰らなきゃ。」
この場が家なのだといくら言っても、あわてふためいて外に出ようと騒ぎだす。
心がざわざわするのは、自分が、一番大切にしていたものや人の記憶が無意識によみがえるからなのだろう。
もしかして思い出は、忘れてしまった後も、取り出せない場所にきちんと保存されているのだろう。
思い出は財産。
誰だって、家路を急ぐ子供だった時代がある。
そこから、どんな生き方であっても懸命に自分らしく生きたであろう人生を、あの人は最後に取り戻せただろうか?
そうであって欲しい。
袖振り合うも他生の縁。
今日は彼の生涯に思いを巡らせた。
ココ