小学校の頃は、門限がずっと5時だった。
夏休みだけはすこしだけ緩かったような気がするが基本的に5時の音楽がなるまでに家に帰っていないと、玄関にカギをかけられた。
帰り道、いつも途中のジャンボシュークリーム屋の時計で時間を確認した。
時計の針はたいてい間に合うはずのない時間を指していた。
昔から学習しない子供だったのだ。
走る。
走る。
いつのまにこんな時間になっていたのだと、信じられないきもち。
家が火葬場なので町のはじっこで遠い。
子供は時間感覚が全然ないが、私は人一倍そうだった。
早く出発しなきゃならないのに公園の近所の子といつまでも遊んでいて遅くなってしまう。
家に向かう途中、いつも街頭がオレンジの明かりをつける瞬間を見る。
あ!
時間になると自動でつくのかしら?
急ぐという行為に集中できず、街頭が灯る瞬間を見れたのが少しラッキーに感じながら、ぼんやり家路に急ぐ。
空はまだ本格的な夜の黒になってはいない。
薄いねずみいろの空。
もしも5時に間に合わなかったとしても、親が時間に気がついていないか、超ご機嫌か
なにかでうやむやになってくれたらいい。
微かな期待を胸に汗だくで走る。
たいてい家に着くだいぶ前に5時の音楽が町内に響き渡る。
残念ながらそこで門限には間に合わないのが確定してしまった。
いつも音楽が鳴るとあきらめて走るのをやめ、歩いて家に向かう。
家のドアが見えてきた時、たまに幸運な日もあった。
母親が家の前で訪ねてきた近所の人と立ち話をしているような日は勝利だ。
なにか言いたげな視線を横目に忍者のように足早に玄関から家にすべり込む。
母親も近所の人の手前派手に怒れない。
管理人の住む小屋のような家は、家の玄関の前がトタンで囲った小屋のようになっていて入り口に木のドアがあった。
夜になると木のドアに太い木でつっかえ棒をするのがカギの代わりだった。
門限を破った日は木のドアを押した瞬間つっかえ棒で開かなかった。
その斜めの木が母親の怒りのサインだった。
暗くなる火葬場の前で、どうしたら開けてもらえるのか考えた。
汗ばんだあの頃の私は、ドアをたたきながら決して家のなかに入りたいわけではなかった。
怒っているのだから家の中も、もっと怖い。
考えるのもイヤになるほどの恐怖。
あの斜めの木には怒りの意志があった。
お母さんはこんなに怒っているのだから、何が悪かったのかいつまでもそこで考えなさい。
ドアが閉まっている。
あれは実に悲しい時間だった。
拒まれるということを考える時、
あの幼かった私が押してもびくともしなかった木のドアと斜めの木を思い出す。
ココ