娘からインフルエンザがうつってしまい、数日間寝込んだ。
過去に一度たりとも看病でうつったことがなく、自分はインフルエンザにならないという謎の自信があったのに、今回はきっちりもらった。
そういえば今年はコロナにもなり、風邪の当たり年のようだ。
噂には聞いていたがインフルエンザは、かなり苦しい。
夜中トイレに行く数歩の道のりがひどく長い。
寒気なのか歯がカチカチいうくらい震えた。
おまけに体のあちこちが痛む。
最初は熱を測った段階で”負け”決定な気がして断固として測らなかった。
布団を何枚も着て汗をかき熱を下げるという原始的な事をやって治そうとしていた。
一晩寝たら朝にはスッキリとなっていて欲しかったが、益々具合は悪くなっていった。
これはまずいと思い、夜中にこっそり測ったら40度だった。
さすがにこの辺りでやっと、自分がインフルだと認め
カロナールを飲んで無理やり寝る。
眠るたびに夢ばかり見た。
景色がたくさん出てきて、さまよい歩き回るような夢だった。
そういう人は多いのかもしれないけれど、私にはいつも夢の中で出てくる場所がある。
どこなのかは全く分からない。
実在するのかもよく分からない。
分からないのに、夢の中では毎度おなじみの場所なのだ。
人生でいつか、ここの事だったのかとその場所に巡り会いたいのだけれど、あそこはたぶん私の夢の中の架空の場所なのだろう。
二度と行けない場所だったり、昔の記憶の断片が架空の場所を作り出しているのかもしれない。
インフルエンザの私は、夢の中でどこなのか分からない場所の街角に、久しぶりに立っていた。
私は、一体どこの人なのだろう。
自分のいるべき場所は、どこの土地なのだろう。
少し焦りながら、何かを探すように架空の街をひたすら歩いていた。
熱に浮かされていたのだろう。
「何度か、寝ながらため息みたいな変な声をあげていたよ。」
隣で寝ていた娘に、心配そうにそう言われた。
こころがざわついた文字。
そういえば、一か月くらい前に、息子に頼まれ戸籍謄本をとった。
何に必要か息子に聞きそびれてしまい、よく分からないので全ての内容を記載してもらった。
市役所で渡された戸籍謄本を見て、瞬時に心がドキリと動揺するのが分かった。
不意打ちだった。
父の名前を久しぶりに見たのだ。
息子の戸籍。
そこには親である私と夫、それぞれのルーツが数行の文字で記されている。
事実が淡々と書かれた書類。
今は印刷の文字で、横書きなのでより一層事務的に感じられるその書類。
月は違うけれど、私も夫も同じ2日生まれだ。
どちらも7日後の9日に出生届が出されている。
きっちり数がそろった感じが、なにか不思議な気持ちになる。
久しぶりに目に飛び込んできたその文字。
父のフルネーム。
私が生れて一週間のちに書類を書いて役所に提出した、若造だった父の姿。
親になったばかりの姿が目に浮かんだ。
どうしようもない父であったが、この父も母も、夫の今は亡き父もそして母も
誰かが欠けても今の我が子達はいないのだという事実。
蓋をしていた容器をうっかり開けてしまったような気持ち。
息子に戸籍謄本を送るまでの間、わたしのルーツであるその懐かしい名前をしばらく眺め続けた。
新たな気持ちで。
ここ2年くらい心も体もやたら不調だった。
おそらく更年期とか、お年頃のせいだろう。
過去に自分がした行動について、じめじめと悩んでばかりいた。
それが、ここ数日で急激にすべてが本当にどうでもよくなってきた。
大したことではなかったが、娘が救急車に乗ったり、自分がインフルになって悩む暇も余裕もなかった。
もう手に入らない過去、起きるかどうか分からない未来の出来事、
自分ではどうしようもない自分以外の人生。
私はいつも今晩解決できるはずもない事をふと思い出しては眠れなくなっていた。
なんという人生の時間の無駄遣いをしていたのだろう。
あと数日で今年も終わる今、2年余り続いためちゃくちゃ悩む生活にちゃんと飽きはじめている。
そう考えると、インフルエンザの高熱も無駄ではなかった。
究極のネガティブデトックスだった。
病み上がりはちょっとしんどいけれど、心はなんだか晴れ晴れしている。
ココ