母方の祖父は99歳まで生きたが父方の祖父もかなり長生きだった。
思えば太く長い人生だった。
自称?だったのか・・・
祖父は坊さんだった。
近所でお年寄りが亡くなると連絡が来た。
時間になると故人の家の人が祖父を呼びに来た。
祖父の家の裏が墓地で、墓守兼坊主のような仕事でちょっとだけありがたがられていた。
お通夜やお葬式の前にはかならずお風呂に入っていい匂いになった。
ひとっ風呂あびて湯気のあがった祖父は袈裟を着て身支度をしていた。
迎えに来た車に乗ってうやうやしい様子で出かけていくのを見送った。
一連の儀式を終わらせるとお酒とご馳走を頂き、タクシーで戻ってきた。
父と違って酒に飲まれるタイプではないので決して乱れた様子ではないが、相当の大酒飲みで強い。
帰りはいつもご機嫌で帰宅した。
タクシーの運ちゃんも酔った祖父が転ばないように慣れた様子で家の中まで連れてきてくれた。
葬式が終わって上機嫌で帰宅するという、物凄く不謹慎なインチキ坊主だった。
祖父は今思うと寺に属さないフリーの坊主という珍しいシステムでやっていた。
医師免許のような資格が要るのならたぶんアウトのような気がする。
なければ詐欺師だと思うが資格があったのかは祖父がいない今となっては確かめようがない。
でも近所の人達にとっては
[大往生だったお年寄りの葬式専用の安価なお手軽坊主]
として便利に依頼されていたのだろう。
○○のじさまと言われて毎日誰かが何か相談事だったりをしに来ていたし、
お経を読む声はすごく良かった。
トータルで評判はそんなに悪くなかった。
こわいじいさん。
この祖父。
坊主だから殺生をしないどころか、とんでもない生臭坊主だった。
もつの煮込みが大好物で大酒飲み。
何でも食べた。
酔った時など
「犬って食ったことあるか?あかいぬはうまいぞ!」という恐ろしい話をした。
戦争にも行ったことがありカエルでもなんでも食べた話もしていた。
ちらっと見えたのだが腕に墨で書かれたようなタトゥーもあった。
まじまじとは見れなかったがなにか描かれていた。
戦争で鉄砲の玉が目のそばをかすめたらしく片方の目が濁っていてガラスのような瞳をしていた。
義眼なのか本当の目なのか何年も一緒に暮らしたくせに直視して確かめることが出来なかった。
反対のふつうの目が大きくぎょろっとしていて思わず目をそらしてしまう迫力があった。
鼻が高く顔がまるで天狗のようで、同級生の男子は祖父について
トラウマになるくらいの怖さ
大人になってから当時の感想をこんな風に言っていた。
高校生の時バイトをしたテキ屋のおやじでさえ
「お前のじいさま怖えよな」
「昔じいさまに木刀もって追いかけられたもんだ」
そう言われたくらい強いのだ。
何でも屋だった祖父
祖父の庭には我が家の苗字の○○工務店と書かれたマイクロバスがあった。
バスはかなりレトロなもので朽ちていて物置がわりに使われていた。
かなり昔は親戚で商売をしていた時期もあったようだった。
一体何が本業なんだか分からないが祖父にはたぶん戦争を経験した昔の人の
[どんなことでもして生きてやる]という迫力のようなものがあった。
坊主でありながら戦争も経験し謎のタトゥー。
犬を食べたの話、ガラスのような瞳、庭の朽ちたバス、商売人。
何でも屋のような強烈な祖父。
わたしはこの祖父と数年間2人で暮らした。
ねずみばあさん
時々どこからかおばあさんがきて泊まって行った。
おばあさんのイメージはねずみ色の服を着てねずみ色の髪の色のちょっと小賢しいねずみばあさんという感じの人だった。
カノジョだったようだ。
「あらおかえりなさい」
おばあさんに出迎えられるといつも自分の家なのに不思議な気持ちになった。
ねずみばあさんは私に気を遣っていつもお小遣いをくれた。
ねずみばあさんにお礼を言ってから邪魔にならないように2階に消えた。
ネズミばあさんのことは嫌いでも好きでもなかったが思春期の私にとって祖父にカノジョがいるという事実がなんとも気恥しい気持ちだった。
依存していた。
父は5人兄弟の末っ子で兄が1人子供の頃亡くなっている。
一番優秀で一番仲のいい兄弟だったようだ。
出来損ないが生き残ったような事を言われたようだ。
若かりし頃の父。
祖父に対しておそらく毒親を憎む感情もあったに違いない。
否定され殴られてばかりだったようだったが祖父は末っ子の父を強くするためにそうしたのだろう。
憎むなら親から遠く離れるために飛び立てば良かったのだ。
それでも父は憎い祖父に家を建てて親孝行をした。
数年間その家に暮らし父に看取られ祖父は亡くなった。
祖父の知り合いの僧侶が訪れにぎやかな葬式を出すことができた。
父にとっての偉大なる父親が亡くなった。
共依存の関係だった憎い祖父がいなくなりあっという間に父は歯止めが利かなくなった。
止めてくれて助けてくれて甘やかしてくれた祖父だったのだ。
自分の老後に一人になることもなかったのかもしれない。
反面教師としての父を思い最近考える。
偉大な親になんてならなくていい。
自分たちは気軽な踏台みたいな親でいい。
子供は親をきちんと乗り越えて、自分の場所を自分で探して欲しい。
久しぶりに会った親が小さくなったと思う時が必ず来るべきなのだ。
豪快な祖父が1番いい場所に建てた墓。
おそらく何もかもを自分で守ろうとした昔気質だった祖父
今祖父はその墓に眠りながら、父が建てて守れなかった人手に渡った家を目の前で見ているのだろう。
我が子らは親に頼らずに自分の力で生きていって欲しい。
頼りになる親になんかなるものか・・・
ココ