不便なことが好きな変態とよく言われる。
ミニマリストもしょせん流行だが。
ミニマリストを目指している訳ではないがだんだん生活がシンプルになりつつある。
ミーハーで便利グッズも流行りのアイテムも大好きだった。
でも50歳を過ぎてだんだん追いかけるのにも限界がきたようだ。
随分な無駄遣い野郎だった。
でも最近になって自分が本当は不便なものが好きなのだと気がついた。
雑誌やネットの受け売りで簡単や軽量や便利に飛びついたが結局は飽きるのだ。
時代に逆行したいタイプ。
例えば洗濯機。
今 現在二槽式洗濯機を使っている。
以前は母がいつまでも二槽式洗濯機にこだわっているのを見て、
「スイッチひとつで終わるのになぜわざわざ面倒なものを…」
そんな風に思っていたが、今では私もこれ以外考えられない。
きっかけは、子供のアトピーだったり自分の介護職の洗濯物や夫の運動した後のものを分けて洗いたかった。お年寄りの家で使った二層式洗濯機が便利で洗濯も早く終わるという体験もあった。
白いものから順番に洗い
「ついでにこれも洗っちゃえ」とか
「こたつの中からいまさら靴下がでてきた」
そんな時途中からでも"洗い”に参加できる寛容さが好きだ。
最後に風呂の足ふきマットやトイレマットを残すばかりの”洗い"の途中。
ジョギングから帰宅した夫の汗びっしょりの上下1式も一緒にこっそりつっこみ洗うこともできる。
もちろん文句は言わせない。
たぶん気が付いてはいないだろうが。
重曹やクエン酸とかせっけんとかシンプルなものも愛用している。
でも柔軟剤も好きだし結局人工的なものも使っている。
めんどくさいのは自分と似ている。
二槽式のマニュアル車みたいな面倒なところが好きだ。
他にもいろいろある。
炊飯器が壊れて以来ご飯も鍋で炊いている。
弁当を作る時炊飯器のタイマーを使えたらと思いながらも毎回なんとかなっている。
朝の家事を素早くこなし間に合わせられる自分に毎回惚れ惚れしている。
自分との戦い。時間との闘い。
でもこれから炊飯器を買えば おそらく炊飯器が普及した頃のような感動をもう一度味わえると思う。
けどまだいい。
ヘルパーをしていた数年間でかなりの種類、台数の掃除機を使った。
ダイソンは確かに軽くていい。
それ以外も最新式の掃除機は本当に軽い。
掃除機が軽すぎて利用者さんのお宅の家具に本体がぶつからないように、
いつも左手で掃除機をもっていた。
掃除機が身軽で自由に遊びまわるので高級タンスにぶつかるのが気になった。
利用者さんにそんなお気遣いを褒められながら、実はこっそり腕の筋トレも兼ねてそうしていただけなのだがそれからくるくる動く軽い掃除機が嫌いになった。
自分の掃除機の買い替え時にドイツのミーレというバカ重い掃除機を買った。
スイッチのオンオフが本体にあってさすが海外製。
足で蹴ってスイッチを切れるし手荒にできるのが私にピッタリだった。
ヘルパーの時にめちゃくちゃ気を使い上品ぶってやっていた掃除機がけ。
自宅ではワイルドに蹴りながらガンガン出来て最高だ。
そのかわり音もワイルドなので普段はもっぱらほうきと雑巾を使う。
小学校の掃除の時間みたいにはじから掃いていくのが楽しい。
一人暮らしの長女に最近言われる。
「ロボット掃除機って本当に便利だよ!
仕事に行ってる間に掃除が終わるんだよ。」
長女は食洗器もフル稼働だ。
便利なものは使えよと言われるが。
使ったら手放せないよといつも言われるがそのたびに即答する。
無理無理無理。
私は不便とかあえてこうするのが好きなのだ。
丁寧な暮らし
とか
意識高い暮らしや地球に優しくとか考えたこともない。
単なる自己満足。
昭和の貧しい暮らしって周りも皆同じくらいの不便さの家庭も多かった。
忙しくてせわしなく今より活気があったような気がする。
重い掃除機を使える足腰。
二槽式洗濯機の冷たい水に手を突っ込む元気。
鍋でご飯を炊き素早く支度する体力。
続ける為には3つを維持しなければ。
できればあとひとつ希望がある。
どこかのインフルエンサーがガラケーを「カワイイ」とか言って流行らせまた復活して欲しい。
久しぶりにパカパカしたりストラップをつけてセンター問い合わせとかやってみたい。
「それは絶対無理」
「めっちゃスマホでネット見るじゃん。」
長女にばっさり言われるが本当にそのとおりだった。
ココ