今日、仕事で山の中を移動中。
たぬきが轢かれて、道路に横たわっていた。
気持ちが、ひゅんとなった。
ハンドルを握る責任。
職場まで15キロくらい、毎日車を運転する。
仕事も移動が多いので、自分が運転しなくても、車に乗っている時間が多い。
本当に事故は一瞬で起きるものだと思うと、怖い。
カーブの多い田舎の狭い道で、道路の脇に急に現れるおばあさん。
夕方、薄暗くなってきた頃、ちっちゃくて、道路と同じようなグレーとか目立たない色の服を着ていて、草をむしったり、歩いているのを見るとあぶないなぁと内心思う。
ふらふらしながら自転車に乗っているおじいさんも要注意だ。
ひじをピンと張った状態で物凄いゆっくり漕いでいる横を通るときは、できるだけ離れていつこちらに転ぶか分からないというくらいの気持ちで見守る。
あと、全くうしろを確認せずに、自転車で車道を斜め横断する人には、まじで腹が立つ。
たいていが不意打ちだし、私のようなおばさん以降の女性が多い。
物凄く偏見だけど、実際にそうだ。
なぜ、あんな怖いことができるのだろう?
自分の行きたい方向しか見ていないから、後ろから車が来るかもと想像できないのだろうか・・
車を乗るときもそうだが、自転車の時も気をつけなければと、毎日思う。
あとは、不意打ちでやっている、警察のネズミ捕り。
あれも非常に心臓に悪い。
空き地や道路脇に隠れていたおまわりさんに、車を停められるショック。
自分が悪いのだけど、「隠れているなんて、卑怯な」と悪態が心の中に浮かぶ。
田舎道の40キロ制限を60キロで走ったとか、今の一時停止は1秒しか停まっていないからダメとかで何年か前に捕まって現在、免許が青。
次こそはゴールド目指して最近ではめちゃくちゃ気をつけている。
最近は、ランドセルに黄色いカバーを付けた、かわいい一年生を道でよく見かける。
もちろん、横断歩道で待っていたら、車を停めて渡らせてあげるけれど、
この時、もしも対向車が停まらずに走ってきたらどうしようと心配になる。
見通しが良くて、確実に向こうから対向車が来てないならば大安心なんだけど、毎回悩ましい。
停まってあげたせいで、対向車に轢かれるなんて
痛ましい交通事故に遭っては大変だ。
とにかく急ぎすぎずに、落ち着いて運転しなければと、最近は特に心がけてる。
未来のくるま。
今、ジムニーの納車を楽しみに待っているのだけれど、来たら少し遠くまで行ってみたい。
そんな事を思う一方で、車というものを何歳まで運転できるのかと考える。
車が必須の田舎で暮らしているし、行きたい場所や、やりたい事もまだまだたくさんあるので、できれば長く運転したい。
仕事で毎月、品物を届けに行っている高齢のお客様が、ついこの前免許を返納したと言っていた。
もの忘れが多くなってきたので、家族に説得され、何かある前にとご自身で決心されたようだ。
これからは一時間に一本のバスか、それがなければタクシーで用事を足しにいくのが大変だと愚痴っていた。
何十年も、自分で運転していた足代わりのものを手放すのは、寂しいものがあるだろう。
バスもいいけれど、本当は自分で好きな時間に移動できる方法があれば一番いいのだろう。
ドラえもんのアニメや星新一の小説に出てきた未来のイメージは、自動運転や動く歩道や、空飛ぶ乗り物みたいなものがあった。
21世紀は宇宙服みたいなデザインの服を着て、人間みたいなロボットが家事をやっていたり、エアシューターで自宅に、シュポーンと物が届いたした。
随分と現実に近づいたものもあるけれど、移動手段に関してはまだまだだなぁと思う。
個人的には、空飛ぶ乗り物までは無理でも、トゥクトゥクくらいの大きさで、80歳過ぎて乗っても全然危なくない自動運転の車が早くできればいい。
無人で、自動運転の乗り物が田舎道を走るのが、珍しくもない未来はどのくらい先なのだろう。
車の開発者の方々には、めっちゃ頑張って欲しい。
ココ