お母さんなんで食べないの?
子供達がまだ小さい頃。
私が、おかずにあまり手をつけなかったりすると、どの子も必ず聞いた。
それは単に、私がお昼に友達とランチに行ったとか、おやつを食べすぎたとか、体調が悪い訳ではないとしてもだ。
何も食べずに食卓に居ると、子供はそれを不思議そうに見る。
私の箸がすすんでいないのを見るたびに、はたと止まって聞いてくる。
「なんで食べないのさ?お母さんも一緒に食べようよ。」
そんな事を言っていた。
じっと見つめる子供の目。
そんな時自分の子供の頃の気持ちをふと思い出す。
お母さんはしあわせなのだろうか
自分が幼かった頃。
私にとって母は、いつも色々な事を我慢をしているように見えた。
母は料理がとても上手かった。
超豪華という訳では無いのだが、山盛りのサツマイモの天ぷら。唐揚げ。いなりずし。
色々なものを作ってくれた。
友達が来ると、スパゲッティを山のように作ってくれた。
いつも、私が食べる様子を見ていたような印象だ。
でも今考えると、実は見ていないところで、しっかり食べていたのかもしれない。
幼い頃の私にとって、母は家族の犠牲になっている人に見えていた。
昭和の母親はそんな人が多いように思う。
母はよく、寝る前に胃の薬を飲んでいた。とても苦そうな薬で、顔をゆがめて飲んでいた。
ストーブの上には、なにか怪しげな匂いのするお茶を煎じていて家中その匂いがした。
胃が痛くなると言って、コーヒーも飲まなかった。
母が胃の薬を飲んだり、怪しげなお茶を飲む姿を見るたび、母の胃がどんどん悪くなり、いつか病気になって死んでしまうような不安な気持ちになった。
なんで母はいつも心配そうに私を見るのだろう。
なんで母は、いつも私にばかりくれてたくさん食べないのだろう。
大人が大した意味もなくする仕草が、幼い子供の心には大きな心配事だったりする。
小さい胸を痛めていることに、大人は案外気づいていない。
自分が母親になった。
子供とは、無事産まれてきただけで一生分の親孝行を終わらせていると聞く。
産まれた子供が息をしているか何度も確かめた。
産まれた時は、健康でさえいればそれでいいと思ったはずの我が子。
成長するにつれ心配と、良かれと思って先回りが多くなる。
私はだんだん過干渉になっていったのだ。
できるだけ苦労してほしくないとか、こんなことが出来たら嬉しいとか、それはやらないほうがいいとかほとんどの場合しなくてもいい提案をするのが母親だ。
いい加減ほっといて欲しいと逃げたくても子供は逃げることができなかったかもしれない。
自分だって過去はこどもだったはず
ふと自分の母親を思い出す。
いつも感じていた。いいからとにかく笑って欲しい。
私の事をじっと見るより、横に並んで楽しく一緒に過ごせればそれでよかった。
なんにもできないそのままの自分を分かって欲しかった。
笑いながら一緒にガツガツ物を食べて欲しかったのだ。
笑いながら飯を食らう。
今日の失敗を笑い飛ばす。
子供は頭の中にある友達とのケンカや心配事が、食べながら片隅によぎっていても
飯を食らうことで少しはそれが薄まることだってあるかもしれない。
自分もむかしは子供だった。平気でうそをついたし秘密もあった。
失敗ばかりで人に迷惑をかけ通しだった。
そうやって人に笑われたり、迷惑をかけながら大人になった。
母親が笑っていればきっと子供は楽になる。
お母さんはいいからあなたたちが食べなさい。
そんなことは二度と言わない。
最後の一個残った肉を平気で食べる母親でいよう。
私が笑うことがたぶんまわりをしあわせにする。
ココ