今の場所に引っ越しをして二度目の冬がやってくる。
今年は暖冬のせいか、ここ北国にも全く雪が積もっていない。
家の前に今年の春、気まぐれに植えたマリーゴールド。
夏の間は暑さで全然元気がなかったけれど、先月季節を勘違いしたように咲いていた。
そろそろ種を採ろうとしたが、まだ種は青々として枯れていなかった。
私は大人になってから、花があまりにも勢いよく咲いているのをみると
よく分からない不安な気持ちがこみあげるようになった。
美しい花を見ていると、そのひたむきでけなげな姿が愛おしいような、恐ろしいようなどちらともつかない感情になる。
物を言わない花や木。
幼い頃、火葬場の敷地に咲くたくさんの花に囲まれて育った。
すべて町の所有物で、坪庭や花壇は母が管理していた。
松の木の剪定は父がしていた。
庭に咲く香りの良い撫子。
名前が分からずコケコッコの花と呼んでいたあちこちに咲くタチアオイの花。
地蔵堂の隣に咲く水仙。
坪庭の周りをぐるりとかこむマリーゴールドは母に言われて一生懸命種を採った。
ねむの木に咲く夕方しぼむピンクの花。
春に咲く桜の木。
たいてい、その下のベンチで泣く人がいた。
そして皆に褒められた薔薇。
毎年、何年も忘れることなく咲く花は、過去の記憶を覚えているのだろうか。
自分の下で泣く人の悲しみ。
人がいなくなった後の静けさを、花は感じているのだろうか。
時々そんなことを考える。
二年目で気がついた。
先日、物置小屋を片付け、冬支度をした。
集合住宅の前には、建物にかぶさるように何本も木が立っていて、いつもカラスや鳩が止まっている。
ほんの数歩なのだけれど、今日、2年目にして初めて木の近くに立った。
実は引っ越してきたばかりの頃、その木から低空飛行で飛んできた子育て期のカラスにつつかれそうになったことがあったのだ。
違う日に2羽のカラスが猫に挟み撃ちで、攻撃していたのを窓から見た時は
「やめろー」
と近所の人に通報されそうな声で、猫に加勢した。
カラスが猫を食べる現場など、見たくなかった。
それ以来、卑怯なカラスのいる木の方面はあまり見ないように通っていた。
あれは、便所にたむろするヤンキーの前を通るときの気持ちに似ていた。
ちょっと怖くてそっちをちゃんと見れない。
なにしろやつらは人数が多い。
夫が前からその木に気になることがあったらしく、しきり見ていた。
今まで全然気がつかなかったのだが、近くで見ると木にはたくさんの実がなっていた。
貴重な餌場。
鳥たちも生きるのに必死なのだろう。
夫は、なんだかよく分からない実も、平気で食べようとする。
その時も食べようとしたので、全力で止めた。
私も学校帰りに、おんこの実を食べながら歩いたりしたけれど、大人になってからは良く分からないものは食べなくなった。
何の木の実なのか分からないのだから、こういう時は食べれるかどうかグーグルレンズで調べようということになってそれぞれのスマホで調べた。
結局、なんだかわからなかった。
ナツハゼ
小柿
豆柿
椋の木
色々な検索結果が出てきて、どれなのか分からないので春になって葉っぱが出たら再度調べようということになった。
今まで気にしていなかったのに、急に親しみが湧いてきた。
木が喋れたら、なんていう名前なのか今すぐ聞けるのに残念だ。
それにしても、同じ物を検索しているのに私が調べた結果の一つ目が
キンタマハジキ(信州の方言)
別名
ウシのキンタマ(岐阜の方言)
だった。
スマホが、検索結果をその人の品に合わせているのだと娘に言われた。
それはちょっと納得できない。
ココ
何の木か知ってる方いたら
ぜひ教えてください。